天の響

30:救助

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 ディザイアンの増援か、と背筋が緊張し強張った。しかし、飛び込んできたのは見知った銀糸の光である。
「ロイド!」
 聞き違える筈がないその声。
 錯覚でない。錯覚ではなかった。飛び込んできたのは間違いなくジーニアスとコレット。コレット――!
 少女は立ち止まり、紅の輝石の上で祈るように重ねた両手をぎゅっと握る。そして、泣き出しそうな表情のまま微笑んだ。
 それは四日ぶりの笑顔だった。
 途端、鼻腔を血とは異なるなにかがつんと刺し、ロイドは慌ててそれを啜り上げた。
 安堵するには未だ早い。
「丁度いい」
 男を見送るため一度下げられていた剣の切っ先が持ち上がる。握りから零れ落ちた光はエクスフィアだろうか。並の炉では誂えるのも困難だろう、長大な曲刀。それを身の丈七尺近い大男が上段に構えると、部屋が小さくなるようにも感じる。
 気圧され、得物を構える手も震えていそうな幼馴染み達を、クラトスが背に庇った。彼も一緒だったのだ。
「ここで諸共始末してくれよう」
 ボータが上げた声に従い、ディザイアン兵たちが突如走った。神子へ――彼女を護る傭兵へ殺到する。
 驚いた事に、それを受けるクラトスも小走りに前進した。さして広くもない部屋の中だ。直ぐに両者が交差する。その瞬間、クラトスが抜刀した。走り抜けざま左から水平に、舞いのように剣を払う。それは牽制だったが、踏み込み過ぎていたディザイアンが二人、剣風に巻き込まれた。一方は得物ごと利き腕を失い、一方は首を斬られた。血が鼓動に合わせ高く噴き上がった。避けきれなかった返り血が一滴、クラトスの頬に掛かる。
 しかし、ロイドにその様子を眺めている余裕はなかった。ボータが彼に向けて剣を振り下ろして来たのだ。
 ぎしり、と鳴ったのは得物でなく空気だったかも知れない。
 受け止めた柄は刹那の抵抗もなく断ち割られる。刀身が撫でた断面から稲光が宙に跳び、それに弾かれたロイドの身体は壁まで退く。
 既での所で鼻先を剣が掠めた。逆立てた前髪が一本、木の葉のように落ちた。
 殺される!
 悲鳴を上げ、ロイドは左腕で顔を庇った。その時、己の中指から零れた赤い光に意識が惹き寄せられる。
 聖具ソーサラーリング。
 その価値を理解する前に身体が動いた。指輪を突き出し、掌に握り締めた幻の小石を投げる――。
 紅の石は脈動するように明滅し、魔法の光が渦を巻く。瞬間、炉から火が跳ね飛ぶように炎は石を突き破り、一筋真紅の軌跡を描いて爆ぜた。
 爆ぜる――そのイメージは瞬間、ロイドの脳裏にマーブルの最期を思い出させた。
「むっ!」
 ボータはさすがに手練れの武人だった。背を反らし、炎を避ける。体勢が崩れたのはほんの僅かな間のことだ。
 だが、それで充分だった。
 身を沈め間に滑り込んだクラトスが、飛び込んだ勢いのまま剣を突き出す。硬質の音が響き、魔術に因らぬ火花が散った。ボータが咄嗟に曲刀を立て、その刀身で刃を弾いたのだ。クラトスは間を置かなかった。弾かれた剣先が半月を描いて返され、再び突風を纏って突き出される。イセリアの聖堂で巨体のディザイアンを倒したあの技だ!
 轟、と空気を裂いたその切っ先は、しかし再度、ボータが構えた剣に受け止められた。
 力は拮抗している。いや、クラトスの方が上回っているのか。
 証拠に、ボータが反撃に移るより早く、クラトスは三度剣を繰り出した。剣先を中心に気流が舞う。それは小さな渦となり、瞬間、大気を引き裂く稲妻の輝きが迸る。
 紺の燕尾は飛び立つ鳥のように、ロイドの目の前で羽を広げた。
「ぬおぉぉ!」
 曲刀の腹に白光輝く刃が突き立ち、打ち砕く。
 鎚が鉱石を割るように。
 得物を失ったボータが後方に蹌踉めいた。曲刀の残滓は零れ落ち、碧の色をしたエクスフィアがころころと床上を転がった。
 他には動くものはない。
 深い緋に似た髪が揺れ、僅かに動かされた顔から鳶色の瞳が垣間見えた。
「……無事のようだな」
 表情には険しい気配があったが、安堵の溜息にも似て聞こえたのは、気のせいだろうか。
 ボータは低く唸り、鋭い視線でロイドを、そしてクラトスを見た。
「やはり、貴様に対して私一人では荷が勝ちすぎたか」
 今クラトスが踏み込めば、強大なディザイアンを一人倒せる。
 しかし彼は剣を下段に構えたまま動かなかった。ロイドもまた、それを言い募る事は出来なかった。
「退け」
 言葉の真意を探るためか、ボータは暫く沈黙していたが、やがて諾の意を口に乗せると、兵士達へ肯いて見せた。従うディザイアン兵達は互いに支え合って足早に姿を消す。彼もまた、無手であったが、堂々たる姿勢で背を向け、蒼髪の男が立ち去ったのと同じ扉の奥へと消えた。
 代わって、入り口の扉が開く。
 はっとして身体ごと振り返ったロイドは、そこにリフィルの姿を見付けた。
「脱出口を開いてきたわ。行きましょう」
「先生! 先生、俺っ……」
 想いは言葉になる前に溢れて零れ落ちる。
 コレットの望みを無視し、追ってしまったこと。ジーニアスを危険な道程に巻き込んでしまったこと。――村を焼いた罪のこと。
 話したい、話すべき事柄は形にならず、喉奥に上ったと思えば再び腹の底へ落ちていく。もどかしさに自然と頭は俯いた。
「積もる話は後だ」
 クラトスが剣を収め、一行を扉へ促す。
 ディザイアン等は勧告に従いはしたが、何時また戻ってくるか分からない。
「ええ、まずはここを離れましょう。良いわね、ロイド」
 ロイドも道理の分からぬ子供ではなかった。項垂れたまま頷きを返す。だが、歩みは進まない。下方に向いた視界の中で、他の者たちが自分を追い抜かしていく中、白い革靴が立ち止まり、不意に身を屈めた。
 白い指先が拾い上げたのは、あの時曲刀から弾け飛んだエクスフィアだった。それが持ち上げられるのと同時に、ロイドの視線も上を向く。
 コレットだった。
 翡翠の輝きを宿した石を不思議そうに眺め遣り、やがてロイドに向き直った彼女は懐中から白い手拭きを出すと、血に汚れた幼馴染みの口許を拭い、そっと微笑んだ。