オアシスの湖面は残照で染まっていた。
炎天下を駆け回させられたノイシュの口からはだらりと舌がぶら下がり、瞳は甘く李に色付いた湖をじっと眺めている。
脱してみれば、ディザイアンの基地は、トリエットのオアシスからさほど遠くもない砂丘の陰にあった。驚くべきことに、基地の外壁は青金石をそのまま填め込んでいるような鮮やかな彩をしていた。これでは砂漠の何処からでも気が付く。基地を誇示するのは、抵抗力を持たぬ人間を嘲笑う心理なのか。
だがオアシスへの路の途中、ふと振り向いた先に、紺瑠璃の色は欠片もなかった。
「ねぇ見て、ロイド。みんなこんなに真っ赤なのに、この子は青いまんまだよ」
そう言って紅の天に翳したコレットの指先から、涼しげな光が零れ落ちる。手にしているのは先程拾った丸いエクスフィアだ。
子供たちが玩具代わりにするそれに、リフィルが目を止めた。
「コレット、先生にもそれを見せてちょうだい」
玉は、受け取ったリフィルの掌の上でころりと転がった。
一見すると翡翠のようだが、これほど不純物のない透いた硬玉は義父だって見たことがないだろう。
「この宝石のようなもの、エクスフィア?」
リフィルの言葉は誰に問うともなく発せられたが、彼女の意識が自分に向けられている事をロイドは知っていた。
エルフと言う種族が皆そうなのか、或いはこの姉弟が特別なのか、彼女は師と仰ぐに相応しい聡明な女性である。だが鉱石を見る眼は流石にロイドの方が上手だ。また、義父の教えに従いイセリアでは伏せていたが、親友達と彼女だけは、彼が実物のエクスフィアを身に着けている事も知っている。
「ああ」
「そのようだな」
首肯したロイドの動作に被さる形で、もう一つ応じる声がした。
──クラトスだ。
欄干に凭れた背が少しだけ張り、傭兵を振り返った。支えの悪い欄干柱が反動で揺れ、繋ぎから細かい砂が落ちていく音がする。ロイドの視線も重力に従って下がり、自然と傭兵の左手に辿り着いた。
「そういえば、あんたもエクスフィアを使ってたな」
指摘され、クラトスも己の左手を見下ろした。蒼い煌めきを宿す石がそこにある。周りを縁取る金の細工と合わせると、川蝉の羽根に似て見えた。
「……さすがに気付いていたか」
当たり前だ。
ロイドは視線を跳ね上げ、クラトスを睨め付けた。ドワーフ仕込みの目利きの腕を疑われているような科白は、到底聞き流せるものでない。
反感がそれ以上の形で表に顕れなかったのは、ロイド自身の器量と無関係だった。彼の片腕に添えるようにして置かれた白い手が、ただそれだけで、風が霧を吹き消すように怒気を晴らしたのだ。
彼等のやりとりの間も熱心に石を眺め透かしていたリフィルが、続けて問うた。
「これはどうしたの?」
それは無個性だが当然の質問だった。魔法の石エクスフィアはディザイアンの道具だ。イセリアでは全知のリフィルですら、ロイドの他に人が持つエクスフィアを見た事がないと言っていた。
「連中と戦った時に拾ったんだよ」
答えてからロイドはリフィルの方へ視線を戻し、その瞬間、はっと息を呑んだ。
白菫の瞳には爛とした強い光が灯っている。それは不思議な活力の煌めきだった。眩暈を感じるほど強い視線に見据えられ、ロイドの喉は奇妙な緊張感を覚える。
「ロイド、以前から聴きたかったのだけど、あなたのエクスフィアも具体的にはどんな力が」
「姉さん!」
割り入る声は不要に大きかった。
発したのは、宿の手配に出掛けていたジーニアスだ。少年は右手で頭巾を押さえながら駆け寄って来る。転倒を注意する姉の言葉に応じた途端、砂に足を取られ、上体が軽く傾いだ。
「ほら、ご覧なさい!」
すかさず叱咤が飛んだ。と同時に彼女の身体はジーニアスのもとに駆けていたので、それが弟を案じる為の弁である事は明らかだったが。
「大丈夫だよ」
子供扱いに唇を尖らせたジーニアスは、余計に姉の忠言を浴びる事になった。曰く、トリエットの砂は細かくて破傷風の危険性がある、日頃から落ち着きがなさすぎる、転びやすいのだから常に気を付けなければならない……
先生の説教は、村を離れても変わらない。ロイドとコレットは顔を見合わせて、堪え切れなかった笑みを密かに零した。
教本を読み上げているように淀みない言葉が、その時不意に途切れた。
「ジーニアス、これがあなたのエクスフィアなのね」
瞬きする合間に、リフィルの表情は変化を遂げていた。そこにあるのは幾度となく見せられた姉の顔ではない。それはロイド達が初めて眼にする、子供のような相好だ。だがその表情はジーニアスが声を上げれば直ぐに掻き消えた。見間違いか、と思うほどそれは刹那の事だった。
「僕、もうくたくただよ。休みたい」
その主張には誰も反論しなかった。慣れぬ砂上の移動が彼等を疲弊させていたのは事実である。ただ一人、話の腰を折られたリフィルだけが少しばかり不服そうに肩を竦めていたが。
「話の続きは宿に入ってからでも良いだろう」
促す傭兵の背後には、夜の気配が迫っていた。