思い出すのは一冊の絵本だ。
本来ならば修道院に子供の読むそれなどない筈だが、数多くの聖典に紛れ届けられたその本が、幼女の無聊を慰める最上の友となった。
そもそも、偉大なる女神マーテルの御許近くに生まれながらその加護を得られなかった偽りの血族にとって、聖典がなんの救いになったろう。幼くとも、否、幼さゆえに周囲を取り囲む大人達の眼を感じ取った彼女は、ただ定められた祈りの言葉を口にし、聖語に耳を傾け、そして夜には寝台の下に隠した宝で夢に耽った。
出力を絞った光精霊のマナが闇に揺れる。白い紙が波のように揺蕩った。
物語は幼子にも優しかった。
捕らわれ塔に閉じ込められた姫君は、艱難辛苦を退け彼女の許にやって来た王子により救い出され、そして幸せに暮らすのだ。
そして最早幼き日々より別れを告げた彼女もまた。
何時かの日と同じように、長雨を退け高く澄んだ空の日。貴人の輿を牽くエレメンタルカーゴが修道院の前で止まった。降りたのは緋色を纏う男。
「――迎えに来た」
彼はらしくないことに些かの緊張をその指先に宿して、彼女に差し伸べた。
だからセレスは、王子は白馬に乗って来て下さるものなのに、と笑うのだった。