イセリアの森は、侘しさと諦観に似る静けさで満ちていた。春はまだ冬将軍の勢力を駆逐するに至らず、生きる物の気配は少ない。
そこに、土を踏むふたつの足音があった。
一方は弾む足取りで宙を駆け、一方はゆっくりと大地を踏み締め、時に並び、時に追い越されながら、彼らは森の小径を進んでいた。
道すがら吐き出す息は真白く染まり、やがて空気に溶けて消える。
ふと、クラトスは足を止めた。木々の間隔が幾らか開いたそこには、抜け落ちた葉の間から差し込む淡い陽光で日溜まりが出来ている。その陽の池の真中に、硬く小さな蕾が生っていた。
彼が、失った神の詞(ことば)を思い出すのはこんな時だ。
世界は別たれ、大戦は終決した。生命の源たるマナの樹は失われ、けれど希望の実は残された。
世界は今も生きている。
生きているのだ――。
数歩行き過ぎてから立ち止まり、振り返った少年の肩で、陽よりも鮮やかに明るい髪が広がった。金の粉を刷いたように輝く眩しさを感じ、軽く手を翳す。
光を遮ったのは、無骨な形をした剣士の手だ。
少年が手を伸ばし、その手を取った。瞬間、触れた指先の冷たさに瞠目する。寒空の下を歩けば身体が冷えるのは当然のことであるのに、陽そのものであるような少年の一部としては不思議な気がした。繋がれた手は、男のものより一回り小さい。けれどより皮が厚く、不格好に筋張っている。乾いた指の先にしがみつく爪は短く、半ば肉に喰い込んでいる。
それは、泥の底から這い上がり、戦い抜いた者の手である。
クラトスはその手を、世界で最も美しい手だと思う。
手の先に視線を向けると透明な微笑みが頷いた。そして少年がクラトスの手を引く形で、彼等は再び歩き出した。幾許もしない内に、冷えた指先は互いの体温で熔かされ、少年と繋がる右手は日溜まりと手を結んでいるような温もりを宿す。
最後に一度振り向けば、さざめく草の中で、蕾も微かに綻んで見えた。
――長い冬が終わる。