天の響

クルシス20題

幸福

 指輪をしていない手を隠すため、ユアンは咄嗟に両手をズボンのポケットに押し込んだ。
 マントを羽織っていれば普通に腕を下ろしているだけでも隠せた筈だが、と悔やむユアンの頭の中には、室内でマントを着ていればむしろ奇怪しいと言う視点が欠けている。
 それから振り返って見れば、そこにあるのは愛しい女性の笑顔で。
 更にその後ろに控えたミトスの視線に、常にも増してひやりとさせられるのは、決して間違いでない。
「マーテル……いや、そのだな」
 曖昧な言葉の羅列は、ことこの件に関しては先端の尖った黒い尻尾があるに違いない盟主に遮られた。
「僕たちが帰って来ると都合の悪いことでもあったの?」
 そんな訳あるわけがないと笑ってみせながらも、隠した手には不用意な力が籠もり生地をきつく掴んで、中にあった硬い物を転がした。
 ころり、と。
 ──ころり?
 指先で恐る恐る確認する。その形は実によく転がりそうな丸い円で、間には空洞が。
 そう言えば、顔を洗う時に邪魔だと思って外したような気がする。
「……あった」
「あった?」
 不思議そうに──後ろの一人は不機嫌そうに問うてくる。その視線を振り解こうと、ユアンは素早く指輪を身に付けると大きく両腕を広げて見せた。
「あ、温まる物を作っておこうと言っていたんだ。二人とも、買い出しで身体が冷えただろう?」
 せめて愛しい人の前では見惚れられるような自分でいたい。クラトスのせいで未だ用意出来ていない事にさせて貰おう等と不埒な事を考えながらユアンは、嬉しそうに微笑んだマーテルと顔を見つめ合わせた。
 無論その周囲には、今日は炎天下で暑かったんだけどと不平を垂れるミトスと、二度とユアンの失せ物探しには協力しまいと決意するクラトスがいた訳だが、取りあえず暫し幸福に浸っていたユアンにとっては、関係のない話である。

2003/12/27 初出