心に、秘密がある。
幾つの箱に何重の鍵を掛けてしまい込んだものか、ゼロス自身ですら最早覚えてはいない。
「鏃が抜けていないわ」
肩口の傷に触れた女の、端正な横顔が強張った。呪文を紡ぐ口は閉ざされ、指先に灯っていた神秘の光が掻き消える。
法術は確かに超然の力をもって肉体の破損を癒すが、それは体内に入り込んだ異物をも取り込んでしまう危険性があった。しかし、このまま何もしない訳にもいかない。
「あたしが摘出するよ」
背中で交わされる会話を、ゼロスは黙して聞いていた。意識は既に今宵の月ほど朧気になっていたが、習性か、聴覚は益々冴えていた。
二、三のやり取りの後、立候補した忍の娘が、先程までゼロスの傷を看ていた女と入れ替わる。
目の前に、細い竹筒が差し出された。
「こいつを含んでおいておくれ」
おぼつかない瞳が筒の端から零れる白い液体を見た。
動こうとしないゼロスに、娘がゆっくりと説明する。聞き分けのない子供に言い聞かせるような不思議な拍子で。
「ミズホの秘薬、サ。意識が軽くなって、痛みを感じなくなる。飲み込まなくて良い。舌にちょっと乗せるだけで良いから」
麻薬か。
「……いらねぇ」
初めの言葉は掠れて、喉の奥だけで潰えてしまった。
「マジ勘弁だろ、んな不味そなモン」
二度目の拒絶は、装った軽さに比べ、驚くほど強い声が出た。
麻薬を使えば、確かに痛みは忘れる。だが同時に、秘めねばならない物事をも忘れるのでないか。
夢現の間に何をか呟くことが、彼には何より怖ろしい。
「朦朧として、リフィルさまに格好悪いとこ見せちゃったら困るでしょーが」
「ゼロス!」
拒絶する事に深い意味などないのだと、頬を釣り上げれば、当然忍の娘は声を荒げた。常人であれば既に死と同義の昏睡に陥っている。如何にエクスフィアで強化された身体であっても、苦痛が和らぐわけでないのだ。
しかし――
「いいでしょう」
法術を扱う女が肯いた。
「リフィル!」
「本人が要らないと言うものを与える必要はありません。問答をしている時間が惜しいわ」
冷酷に聞こえる女の言葉こそ、しかし正しかった。異物を取り除かねば、傷はこのまま放置されるのだ。
数秒の逡巡があり、やがて秘薬は懐に戻された。
娘の腰から紐の一本が抜かれ、彼女の気持ちの儘にゼロスの肩口をぎりりと縛り上げる。火で焼いた小刀の切っ先を傷口に寄せる。女は再び法術の呪文を紡ぎ始める。
そして娘は、強張る息の先で闘いの開始を告げた。