天の響

ゼロスファンに30のお題

好き

 煌びやかなフロア。心地よい熱気と歓声。程良い酔いをもたらす上質の酒。艶やかに微笑むテセアラの美女達。
 高級リゾート・アルタミラならではの夜。
「だからさ、遊びは遊びで、無粋な日常を持ち込むのは止めようや」
 ゼロスは言いながら、色鮮やかな景品を少年の前で振って見せた。折角のカジノだと言うのに、稼いだチップを旅に役立つ品としか替えようとしない子供たちに上流階級の流儀を教えるのは一苦労だ。
 しかし努力と引き替えられたのは、胡乱な眼差しだった。
「変な物と引き替えると、リフィル先生に怒られるぞ」
 そのうえ、美しいお目付役との間には、深夜にはホテルに戻って就寝しなければならない約束まで付いている。
 ゼロスは溜息と笑いが皮膚の上に昇る前に噛み殺した。
「ほらほら、コレとかさぁ、コレットちゃんにどうよ」
 と、示したのは、女性用の香水。中でもあの金色の少女に似合いそうな、花と柑橘類を合わせた綿菓子に似る桃色の香だ。ロイドはその引き替えに必要なチップ総額に目を剥いたようだが、意外にもその小さな硝子瓶に視線を固定した。
「お、興味ありそうじゃないの」
 ロイドは素直に肯いた。
「この細工は結構良いよな」
「だぁっ! これだからなぁ、も〜」
 細工師としての視点から離れない少年に、ゼロスは一度に吐き出すには盛大すぎる嘆息をして、肩を落とした。
「って言うかさ」
 ロイドは自身の手で鼻を摘むと、昂然と言い放った。
「メルトキオに着いた時、くせぇと思ってたんだけど、これのせいだったんだな」
 それは、繁栄世界の麗しき都に対する、途方もない暴言であった。彼個人にとっても、生まれ育った街である。ゼロスは唖然とした。
 だが、会話の続く中において、彼の唇が言葉を発さなかった試しはついぞない。当然この時も、彼の薄い口はそれに見合った言葉を吐き出した。
「男同士正直な話さ、美しいお姉さまから芳しい匂いがしたら良いなー、とか思わねぇの?」
 ついでにその女の匂いを自分が贈り、寝台の中で纏うものはそれひとつ、と洒落込みたいところだが、流石にそれはゼロスの理性が自重した。
 匂い、と復唱して首を傾げたロイドは、なんだ、と、誰かの真似なのか、似合わない大人びた仕草で肩を竦めてみせた。
「コレットは日向の匂いがするから、それで良いよ」
 そう言ったロイドこそが陽のような笑顔だった。
「……ロイドくんてば、犬みたいだな」
 半分は感心を込めて言ったその評は、鼻利きの良さに限らない。理性によらず直感において正道を見分ける嗅覚は、正に動物のそれであるに違いなかった。
 その時、ロイドが言葉を続けた。
「お前のは」
 ゼロスは薄水の瞳を二度瞬かせた。
 先の言葉が、問いの形式を取るため語尾を上げていた事を思い出したのは、沈黙の数秒を経てからである。
 だが返すべき答えを解する前に、ロイドは別の方向に言葉を続けた。
「お前の匂いなら、俺は好きだよ」
 血液はその刹那、沸騰したものか凝固すべきか、いずれとも決めかね、遂に循環すべき使命を放棄したようだった。
 半ば呼吸が止まりながら、ゼロスの舌は所有者の意思と別に動き続けた。もっとも、その言葉の羅列を頭の何処か別の部分で聞いた本人にとっては、些か常の切れは欠いているように感じられたが。
「そりゃなぁ、俺さまの使ってる薔薇油は超一流品なわけでこの一滴の為に何千本と言う薔薇が使われていてよ王族かマナの血族でなければ手にする事のない香水であってだから」
「ゼロス、帰るぞ」
 我に返った、と言う事はそれまでは自失していたのだ。
 飽きたのか、時間なのか、気が付けば結局毎度の通りグミと変化の魔力が籠もった瓶を抱えたロイドは、カジノを後にするところだった。開け放たれた扉の向こう、匂いなんて吹き飛んでしまいそうな高い夜空の下で、少年たちがゼロスを呼んでいる。
「……好きとか言ってんじゃねぇよ」
 何事に対してか、発した本人にすら定かでない呟きは、笑い声弾ける空気の中で泡となって消えた。

2005/01/24 初出