現在地:日輪の章1575年1月(羽柴秀吉・姫路城国主)
この頃は、直轄城が増えて管理が大変です。
配下を城主にしたいけれど、現状はあくまで信長から預かっている領地ですから、そういう勝手はできそうにないですね。
他勢力の制圧が主命なので、合戦が多い数年でした。
自分から合戦を仕掛けるようにもなりました。今まで配下から合戦を止められていたのは、攻込名分がない状態で合戦を仕掛けると悪名が上がるーーという要素があるためでした。その理由は自分でも思いついていて、宣戦布告をしたことはあったのですが、布告しただけでは自分の攻込名分にならず(相手に攻込名分を与えるだけ)、相手から攻撃を受けないといけないのですね。無視しても良かったのですが、なるべく名声を上げる方向でプレイしているので、ちゃんと名分を得るようにしました。
しかし、宣戦布告後に敵の攻撃を待つのは億劫なので、もっと手っ取り早い方法です。
朝敵にしてやるぜ!
信長が実際に使っていた手だと思いますが、実際に無茶苦茶便利です。朝廷への貢献度が高い家には治罰綸旨が通らないので、この利便性のために朝廷友好度を稼いでおくのもいいなと思います。
宇喜多家、松永家、筒井家、本願寺、畠山家とどんどん攻略していきました。
と言っても、他の城主にも同じ主命が出ているのか、横取りされたり、信長自身が出陣したりで、ちゃんと自分の手で倒したのは宇喜多家と本願寺だけです。
宇喜多直家は、さすがに能力が高かったですけれど、戦場だと、一武将だけ強くてもさほど脅威ではなかったです。
少しずつ領地を切り取っていき、残りは居城岡山城だけ……というところで、姫路と織田家領地を結ぶ要所・三木城にて別所長治が裏切ったので、とりあえず取り戻すため転進。あまりに都合のいいタイミングでの謀反に、一瞬直家の差金を疑ってしまいました。謀反自体は史実だけれど、史実より相当早いタイミングでしたしね。
三木城攻略には2年もかけず、1ヶ月で後顧の憂いを絶てたので良かったです。
その後、宇喜多家を滅ぼしたら敵将12名を捕らえることができまして、なんと、直家自身を含むほとんどを召し抱えることができました。知謀100、全技能持ちの超有能配下の誕生です。あとは、七本槍の粕谷武則もここにいたので、ちょっと驚きました。
ここで一気に配下武将が増えたことで、自分であくせく内政などをせず、主命を割り振るだけでも済むようになってきました。
そのことから、武将引き抜きの楽しさにも開眼。
過去にも浪人は勧誘したことがあったのですが、市政の人は親密度最大で勧誘しても色良い返事をくれないことが多々ありました。でもよく考えたら、仕官希望の浪人以外が武士に誘われて頷く確率なんて低いですよね。むしろ、敵武将を寝返らせる方が簡単に部下を増やせました。
まあ、あちこち回って有能武将に声を掛けてみたとはいえ、まさか小早川隆景を引き抜けるとは思いもしませんでした……。よほど兄貴たちと仲が悪かったのでしょうか。
将来発生するだろう毛利攻めに起用して、大丈夫なのかは不安です。
松永久秀は、朝敵にできなかったので宣戦布告後放置していたら、痺れを切らした信長が出陣。本丸を攻めているギリギリの段階で援軍に駆けつけ、爆散するのを見届けました。
その後は、結構な時間をかけて本願寺を攻略。
現状、石山本願寺戦は一番キツい攻城戦でした。
規模が大きく防御力がとんでもない数値だったので、10人単位+忍者への依頼で破壊工作をかけてから出陣したのですが、1回目の出陣では四の丸攻撃中に起きた野戦で退却しました。本願寺の武将たちが揃って「早合」で秀吉に集中攻撃してきたためです。敵AIが優秀すぎました。
一度撤退した後、即再戦。この無茶をしたお陰で、この手で宿敵本能寺を倒すことができました。
2戦目も本願寺側は兵力マックスで全然勢いが衰えず、「闇討」を2発も喰らったりしてキツかったのですが、野戦で鈴木佐太夫と雑賀孫一の鉄砲隊コンビにダメージを与えられまして、その後の攻城戦が有利になりました。
後は、九鬼の援軍に助けられました。援軍と言っても、金を払ってきてもらったんですけれど、陸海で防衛側が2手に分散するので、水軍は結構大事だなと思いました。
小寺政職にも2ヶ月連続で援軍に来てもらったのですが、2回目は最初から兵力3桁で苦笑しました。無理を言ってすみませんでした。
なお、本願寺に攻め込んでから気付いたのですが、孫一は本願寺所属だったんですね。だから顔を合わせる即座に戦闘になったのか、と納得しました。
実は、後々もう一度孫一に挑んでみたのですが、やはり敗北したのでした。最早因縁の関係です。
まあ、配下にした後、主人公札を手に入れるためにも個人戦を要求され、その時はHP2でギリギリ勝ったので、リベンジは果たせました。
孫一に「殿」と呼ばれると、内心どう思っているんだろうなとドキドキします。
こんな感じである程度主命を果たせていることもあり、評定は好成績で誉められています。
尾張守の職に推挙されたくらいです。まぁ、年始に評定をする、と徴集されたのに肝心の信長が合戦に出陣していて不在というひどいパワハラを受けたりもしましたが(笑)。
合戦で負けたのは、滝川一益の三好攻めに援軍を出したら、敗北に巻き込まれたのと、試しに軍団長を配下武将に任せたときくらいですね。
しかし拠点数は大量なので、この調子で全国統一は結構大変そうです……。