http://www.mmv.co.jp/special/tennis_musical/
三代目青学メンバー卒業!
1年経ったという期間的なことより、リョーマ@桜田が成長して、役的に無理があると思っていたので、交代は納得の決定です。しかし私が生で見始めたのは三代目からで、愛着があるメンツだったので、非常に寂しいです。
特に惜しんでるのはタカさん。
阿部よしつぐ(一代目)は、歌も芝居も好きだけれどタカさん的パワーを感じず、北村栄基(ルドルフ戦)はBLEACHでのイヅルの印象が強過ぎ、小谷嘉一(二代目)は顔は好みだけどやはり華奢な印象が抜けず、渡部紘士(三代目)になって初めて「タカさんってこういう力自慢だよね!」と納得できたので、彼で全国戦が見たかったです。
あとは乾@中山麻生ですね。彼はまだ若くて薄い身体をしているので、これから成長したら青山草太(一代目)くらい良い乾になると信じていたのですが……。夏公演の柳戦で、期待していた乾を見せてくれると期待します。
- 2007年07月登録記事
妙に語りたくなる「エリザベート」話。
今日は、ゾフィーを取り巻く重臣たちについて少し考えてみます。
なお、重臣たちとひとまとめにしましたが、あの役は全員名前があるんですね。確かに、舞台上にいる時間の合計だけならルドルフより出番がありそうですし、1人くらい不在でも分かるまいと思いつつ、欠けたら寂しい気がするので、名前があっても良いのですが意外でした。
初登場の「謁見の間」は、全員それなりに立派に見えたのですが、やはり印象に残るのは「ゾフィーのサロン」での毒婦送り込み会議。本当にお茶目でヘタレで可愛らしいオジサマたちだと思います。なんせ、上級生が少ない昨今の宝塚事情ゆえか、皆無駄に美形なのです。
ゾフィー退場後は重臣たちもまったく出番がないので寂しいですね。宝塚版には依然ない「ゾフィーの死(Bellaria)」が組み込まれていれば、また少し違ったのでしょうか? いえ、しょせん脇役である彼らの待遇は変わらな気がします。そもそも、その先の時代には、重臣たちも一線を退いていたのかも知れません。2幕ではゾフィーと同じ進行で老けメイクをしていたことから考えると、彼女と同世代なのでは。だとすると、ゾフィーのサロンとは、若かりし頃のゾフィーが開いていた集いから、政治的な思惑を持った連中がそのままスライドして彼女を取り巻いていたんでしょうね。
……などと、脇役だけに全然情報がなく、勝手に空想を広げてしましました。
どなたか、重臣たちで二次小説を書かれませんか。私は読みますよ。
ちなみに1幕で、ハンガリー訪問に同行するよう懇願する陛下のバックコーラスを歌っていた重臣たちの歌詞がまったく聞き取れていません。個人的に気になっているので、何を言ってるのかご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。
http://www.carddas.com/tales/
ファンダム発売後はまったくテイルズチャンネルで取り上げられていませんが、ちゃんと公式サイトの内容が整ってきていました。ちなみに現時点でのトップのタイトル絵は2種類(藤島絵版とアニメ絵版)、カードはランダムみたいですがロイド、クラース、すず、ルークを確認。主人公選出ではないんですね。
とりあえずカードリストを「ユアン」で検索し、いないことに安心しました。まぁ、仮にユアンさまカードが発売されても、このリストで検索すれば良いですか。
カードを集めるのは、FF5ジョブカードとTODトレーディングカードで懲りたので、購入はせずに済ませたいと思います。
宝塚雪組「エリザベート」公演で、ルドルフの印象が変わったと書きましたが、もっと具体的に言うと「小さい役」だと思ったのでした。
(以下、すべて青年ルドルフの話です)
私はこれまで、ルドルフは宝塚で言えば四~五番手の役だと認識していました。もちろん、比較的若手に回されるという点は考慮するとしても、ショーでの男役群舞がS=トート、A=フランツ、ルキーニ、ルドルフだったので、大幅には外していない認識だと思っています。
実際の舞台上においても、登場は2幕のみとは言え、「闇が広がる」「僕はママの鏡だから」の2曲があり、両主役と関係する美味しい役。得意分野が演技でも、歌でも、ダンスでも、とにかく一つは魅せることが出来る程度に場が与えられていますよね。だから、役不足ということはないはずです。
でも、凄く印象が小さい。
何故そう思ったかとよくよく考えた結果、役が小さいと言うよりも、弱い人なのだと思い当たりました。
歴代ルドルフについては「闇が広がる」のシーン(映像)しか見たことがありません。この場面限定での印象は、トートに唆され、独立運動決起を決意するというものでした。
ところが実際は、この後エルマー達と相談し、まだ決起しようとしないものだから彼等からも促される。そして遂に運動が起こるものの、ここに至ってもルドルフが自ら立ち上がったようには見えませんでした。周囲が動き出し、流されて旗頭に担ぎ上げられてしまった表情をしている。
父に叱責を受け、母から拒絶されて生きる意味を失うことから見ても、ルドルフは、他者に依存している。
このルドルフが唯一自身の意志を見せたのは、「闇が広がる」で、トートからの死の口づけを拒んだ時だけです(観た回だけかもしれませんが、凄い顔を背けてました)。
私にはそんなルドルフが、怯える子供に見えました。
一人ぼっちの暗く寒い部屋で、猫を殺して育ったルドルフ。「エーヤン!ルドルフ」と歓呼されることを夢想したのは、王座への欲望でなく、人から愛して貰いたかっただけなのではないでしょうか。
だからこそ人の囁きに左右され、けれどどちらかを選ぶことが出来ず流されるままに過ぎてしまった。その弱さが、彼を小さな人間にしているのです。
ルドルフ本人は、真っ直ぐな理念を持っていると思います。銃弾に倒れたエルマーを、彼はとっさに我が身で庇ったように見えました。ママに縋る時でも、彼は自身の継承権を訴えるのでなく、ハプスブルグの行く末を憂いて訴えるのです。
でもその優しさは、祖母ゾフィーが皇帝教育時に繰り返した「冷静に、冷酷に」とは真逆。愛されたい余り他人に左右される生き方は、母エリザベートの「私だけに」とも真逆。
ただの、トートに翻弄される普通の人間だから、彼は小さかったのです。
邦題「僕はママの鏡だから」は、原題を忠実に訳した場合「僕がママの鏡だったら」になると聞いた事があります。
――僕が、愛するママの鏡そのものだったなら、どんなに良かっただろう。
凰稀かなめが演じた雪組再演版ルドルフには、そんな悲哀があるように感じました。
http://www.bastard-online.jp/
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050720/tecmo08.htm
まだ開発中だったのか、とそのことに吃驚しました。2006年にはβテストをするって言ってましたよね。原作の遅筆に負けない開発期間です。
で、上記写真で萩原氏の左右に控えているコンパニオンのお姉さんは、もしやヨーコ(右)とアーシェス(左)だと言うのでしょうか……。
つい、原作イラストとある一点を見比べてしまいました。