映画(朗読劇)「天地四心伝」より、偃月の話

SideM 鬼人族

DAY2のネタバレを含みます。

月下で白刃が煌めいたその瞬間、偃月は己の罪を知った。

鬼族の姫君が紫耀英の息子ーー紅蓮を産んだ日は、偃月とて同族と共に喜んだのだ。
彼をこの手で抱き上げたこともある。あれは確か、紅蓮の百日祝いだった。偃月は鬼族の異端と見做されていたけれど、当時は鬼族の意向を鬼人族に伝えるパイプ役としてまだ尊重されていたので、一族による折々の行事には呼ばれていた。あの日、紫耀英の不慣れな手付きがあんまり危なっかしくて、見ていられなかった偃月はいったん紫耀英の手から子供を取り上げて、抱きかたを指導してやったのだ。
あの時偃月の腕の中にいた紅蓮は、とても小さくて、柔らかい、稚い存在だった。友と夢見た鬼人族の未来につながる、愛しい生命だった。

だがそれからまもなく、紫耀英の人間族の妻が産んだ子供も男児だった時から、紫耀英の息子たちは偃月に喜びをもたらす存在ではなくなった。紅蓮のことは重荷ですらあった。同族から、紅蓮を族長に推すよう迫られるようになったからだ。
まだ自分の足で歩けもしない子供を、どちらが族長に相応しいかなど決められるわけがない。辟易した偃月は、鬼族と距離を置くようになっていった。
だが、それは間違いだった。
偃月があの子を守らねばならなかった。鬼が人間と共に歩むことがどれほど難しいことか、偃月は知っていたのだから。それなのに、鬼族内の不穏な気配を察知した頃には、偃月は後継者争いの味方でないと解釈され、紅蓮の教育からも遠ざけられていた。

そうだ、記憶の中のあの子は、紅い瞳の中に、紫耀英から受け継いだ柔らかな人間の心を確かに宿していた。しかしいま偃月を見据えた瞳は、怒りと憎しみで燃えているのに、凍りついたように冷たい。
偃月が叢雲と手をとれたように、紅蓮も蒼生と手をとることができたはずなのだ。しかしいま紅蓮の手が握ったのは、蒼生の母親の首だった。

ーーこれは、偃月の罪である。
ならば彼に斬られることは、贖いだったのだろうか。


先にお断りしておくと、私は偃月が悪いとは思っていないです。
ただ、全く「紅蓮の味方」が存在しなかったDAY2の状況を見ると、偃月と交流があれば、相談できる先として機能した可能性を考えてしまいます。また、偃月は鬼族の謀反を止めるべき(最悪でも事前に察知できているべき)立場だったし、それも可能だったとは思うので、本人が一番悔やんだのでないかと思い、偃月の最期の思考、回想を想像するとこんな感じかなと思っています。

朝っぱらから人が死ぬSSで失礼しました。

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