「サガ エメラルドビヨンド」将軍の物語・前編
シウグナス編2周目で、将軍の言葉に違和感を覚えたことを発端とする妄想や解釈を形にしたものです。SSと称して載せるには長くなったので、区切りがいいところまでを一旦投稿します。
「ネタ晴らしをするなと言ったのは、伯爵、お前だぞ」
追求を打ち切る言葉に、祈るような気持ちを込めていたことに、気付く者はいただろうか。
哲人が物言いたげな表情をしているのが視界の隅に見えたが、将軍はそれを無視して、ただ一心に闇の王を見つめた。
◇ ◇ ◇
時計の針は未来に向かって進むーーという広く知られる事実は、決して真理でない。少なくとも将軍の認識においては、この世界は過去に戻ることがある。
はじめてその現象に遭遇した時のことは、いまでもはっきり覚えている。将軍が敗北したと思った瞬間、戦いが始まる寸前に時間が戻ったのだ。
もっとも、時間が戻るという荒唐無稽な事象をその時点で理解できたわけでない。そのときは突如目の前の情勢が一変したことに動揺し、なんの指示も出せないまま、一度目と同じ戦法で、一度目より酷く敵軍に蹂躙されただけだった。だが、そんな二度繰り返した敗北を知る者は将軍の他にいない。グレロンの行軍記録に残ったのは、敵軍が突撃してくる寸前、陣形を変えてその攻撃を受け流し、敵の勢いを殺してから的確に反撃を加えたという、鮮やかな勝利の記録だけである。
以来、同じような現象を何度か経験した後に「常勝」の名を冠するに至った将軍は、己が負けることは運命に定められていないのだと悟った。無論、将軍は天才であるから、そう頻繁に時間を戻す羽目に陥ったわけでない。実力で得た勝利の方が、運命によって強制的に得させられた苦い勝利より遥かに多い。しかし思わぬ蛮勇に押し負けたり、時には自軍に足元を掬われることもあったので、将軍は生涯に百戦したうちの幾度かは敗北し、同時にそれをなかったことにした。
グレロン不生出の天才、と謳われるのも虚しいことだった。
ただし、勝つまで何度でもやり直しさせられるというのは、決して楽な話でない。どうせなら戦場に出る前まで時間が戻れば良いものを、と毒吐いたことは数えきれないほどあった。与えられた兵力が明らかに足りなくても、物資の補給が切られていても、時間が戻された瞬間から智略を尽くすしかない。そして時間が戻ることになった戦闘ほど、すべて終われば大勝利で、それに至るまでの苦労は誰にも感知されず、将軍も自尊心故にすべて予定通りだったと涼しい顔をしてみせた。
実際、勝っただけマシなことは分かっていた。万一、勝ち筋が一切ない戦いだったならば、永遠に敗北し続ける牢獄に閉じ込められる恐れもあるのだ。将軍が己のあらゆる時間、あらゆる神経を勝利のため費やすようになったのは、そういう背景があった。
やがて、表向きは敗北を知らぬまま生涯を閉じた将軍は、死せる英雄たちの国ブライトホームに所属を移した。
ブライトホームでも、戦場を転々とする日々に変わりはない。むしろ、面倒な社交などに煩わされることなく軍事にのみ没頭できる環境を得て、将軍は一層勝利を追い求めるようになった。
時間に関する新たな法則も発見された。それは、作戦行動を共にした他の戦士団が負けて計画が瓦解しても、将軍の指揮する戦士団が直接敗北していなければ時間は戻らないらしいことだった。グレロンでは全軍の指揮権を与えれていた将軍も、ブライトホームでは一戦士団の団長にすぎない。作戦が失敗で終わるという未知の経験は決して愉快なものでなく、生涯ではじめての撤退戦を指揮して持ち場の監視塔に戻った後、将軍は少しだけ荒れた。
闇の王が現れたのは、ブライトホームでの日々が日常に変わり、積み重ねる個人的な勝利と、自身以外が原因の敗北に疎み始めていた頃だ。
暫く前から、他の戦士団の関与を除き、将軍戦士団の力で全軍の勝利を掴んでしまえば良いと考えていた将軍は、この新戦力を得ると即座に大攻勢をはじめた。しかし、勝利の果実に指先が触れたところで、ディン王の撤退命令に盤面をひっくり返されてしまった。
これまでにない、完全な敗走だと将軍は思ったが、なぜか時間は戻らなかった。撤退命令に従った形だからか? だが時間が戻りさえすれば、旦那戦士団に撤退命令が届かないよう細工して押し切ることもできただろうに、こんなときに限って時間は戻らないのだ!
しかし激情が去ると、この奇妙な時計の針が思い通りになったことは一度もないのだから、アテにする方が間違いだと将軍も気付いた。自力でどうにもならないことに心を傾けても、良い結果は得られない。となれば、今度は薄々感じながらも目を背けていた事実を認めるしかなかった。
それは即ち、戦士団を、将軍を招聘しておきながら、ディン王の目的は勝利でなく戦いをし続けることにあるという事実だった。
勝利を得られないならば、将軍の存在意義はどこにあるのだろう。
戦は好きだ。成長しない己の体を動かすより、軍勢を思い通りに動かす方が余程楽しかった。しかしただ戦えれば良いのではない。将軍は勝利を得たかった。勝利だけが、持たざる彼に自信と安寧をもたらすものだった。
それゆえ、将軍はブライトホームを出て行くという闇の王の導きに従ったのである。
こうして始まった連接領域の旅は、偶然なのか闇の王の意図が働いているのか、戦士団の過去を辿る旅になった。
最初に哲人、それから戦士、人斬、豪傑と戦士たちの過去が明らかになり、皆が闇の王の眷属になることを望んでいくのを、将軍は少し遠い位置から見ていた。
第一に、他の者がどう生きてどう死んだとか、どんな想いを抱いているかは、将軍の関心の外にある。将軍の関心事は、戦士団が自分の指揮に従って戦い続けられるのかどうかの一点だった。幸い、闇の王自身が戦場では将軍に従う姿勢を見せていて、戦士団の面々の忠誠の先が闇の王に代わっても将軍の指揮権は揺るがなかったから、注意を払う必要がなかった。
第二に、自分の番が来てグレロンに帰ることがあったとしても、自分の過去に関わるような出来事は起こり得ないと確信していたためだ。戦士団の中でも古株の豪傑や人斬は、彼らが生きた時代から数百年経っていたのに対し、後からブライトホームに招かれた哲人や王者は大きな齟齬がなかったことから、各連接世界の時間は連動していると推測できていた。故に、将軍も将軍が仕えた帝国も、グレロンでは遠い過去の存在になっているはずで、自分の世界だと認識できない可能性もあると思っていた。
ーー少なくとも、実際にその日が来るまでは。
闇の王がその扉を開けた瞬間、突き刺すような寒さを感じて、将軍は首をすくめた。
冷気の理由は、直ぐに分かった。彼等が訪れたのは氷に閉ざされた世界だった。建物が、人間が、あらゆるものが凍りついている異様な光景に、戦士団が驚き、闇の王は美しいと歓喜の声をあげた。
将軍も、御伽噺の世界に来たような気持ちで辺りを観察していたが、見覚えのある尖塔を認めて息を飲んだ。あれは、生国グレロンの宮殿に間違いない。
将軍の生前の記憶のまま、帝国の健在を示すかのように、宮殿は昏い輝きを宿していた。だが、最後の住人の死と共にあの建物も朽ちていなければおかしい。第一、どれほど雪深いグレロンでも、人間まで凍りつくなど異常な事態だ。思わず、将軍の頬が紅潮した。
「あの男の呪いが発動したとでも言うのか!」
かつて当人から話に聞いていたが、自分のこの目で世界が氷中に沈む様を見ることになるとは、さすがの将軍も考えつかないことだった。
一方、闇の王は氷漬けの謎よりも、この世界を堪能することの方に関心を抱いているようだった。
「将軍よ、詳細を語るのは今は止めておいてくれ。この美しい世界を探索する楽しみを私から奪わないでくれ」
将軍としても、仔細を皆に語って聞かせたいとは思っていない。闇の王の要請は渡りに船であったので、口をつぐみ、その後はただ一人氷漬けを免れた少年アレクサンドルが闇の王に導かれながら、事態の解決を図るのを見守った。
それは、最終皇帝と呼ばれた男の末路を見届ける旅路になった。
ここで、かつてのグレロンの話をしよう。
将軍が帝国のため百勝した末に得たものは、暗殺者を送り込まれる栄誉だった。そこまでは許容できた将軍も、その暗殺者が最終皇帝の手の者だと知ったとき、なにもかもに嫌気が差してしまった。自分がずっと欲していたものの正体と、それが自分のものにならない事実を同時に悟ったからである。それ故、将軍は職を辞する置き手紙を残し、密かに国を出て隠遁した。ーー正確には、隠遁しようとした。
実際は、隠遁するつもりで移った土地からグレロンに蜻蛉返りすることになった。グレロンでクーデターが起きたことを知ったからである。もっともクーデターが起こらなかったとして、息を潜めて隠れ住むことが可能だったかは怪しいところだ。隠遁生活が1週間も続けば、将軍は退屈に殺されていただろう。
将軍がグレロンに戻ったとき、グレロン史上最も恐れられ最も愛された支配者は、すでに宮殿ごと閉じ込められ、誰の手も届かない存在になっていた。クーデターを起こした者たちは、どうやら最終皇帝を殺す覚悟を持たないまま戦っていたらしい。憤りと、馬鹿馬鹿しい気持ちと、安堵が混じって、将軍は結局、そのことについてなにも言及しなかった。どちらにせよ、宮殿の門を開けられる者はおらず、殺せとも救えとも命じる余地はなかったので、それで良かった。
代わりに将軍はただひとつ、宮殿の中を伺える見張り塔に登る許可を求めた。クーデター軍の首脳部は、敬愛する元上官の頼みを受け入れ、自由に見張り塔を使う権限を与えてくれた。
見張り塔から覗いた最終皇帝は、将軍が仕えていた頃と変わらない様子で、これといった感慨もなく食事をし、運動をし、芸術を楽しみ、執務をする代わりに猫と戯れているように見えた。帝国の支配者であったときとまるで同じだった。そして、それを遠巻きに見ている将軍も、また。
ーー将軍がグレロンで生きていた頃の記憶は、そこで途切れている。
そういえば、自分とあの男はどちらが早くくたばったのだろう。
自身の最期に関する記憶が曖昧なことを、将軍は自覚していた。これは将軍に限った話ではなく、ブライトホームの戦士たちは多かれ少なかれ記憶に欠落があったから、生きるにあたって不都合な「死の記憶」は思い出せないようになっているのでないか、という哲人の考察に、将軍も概ね同意だった。
幽閉され外界との繋がりを断たれた最終皇帝が先に亡くなるのが道理だが、将軍が先に、最終皇帝の信奉者たちに殺されたとしてもおかしくない。クーデターは将軍の関与しないところで起きたが、信奉者たちにしてみれば将軍も関わっていたと見なす方が自然であるし、護衛もなく毎日見張り塔に通っていた将軍を襲撃することは容易かったはずだ。
あれだけ執着した存在の死が記憶に残っていないということは、つまり最終皇帝の最期も見届けられなかったのだろう。結局、将軍は最終皇帝にとってなんの関係もない存在のまま終わったのだ。
だが、いまは違う。この地に甦ろうとしている最終皇帝と対峙することで、将軍は初めて彼の意思に関与することができた。
新たな器として選ばれたアレクサンドル少年を魔の手から守り、復活を阻止する。本音を言えば、将軍としては最終皇帝が復活しようがしまいが、どちらでもいい。しかし最終皇帝のしようとしていることを予想外の形で引っ掻き回し、その視線を否応なしに奪っていく闇の王の振る舞いが痛快であった。そして、そんな闇の王が望む勝利のために采配を振っているのが自分なのだから、実質、その振る舞いは自分がしていることと同義だ。
敵として対峙するなど、臣としてしか生きられない将軍にはできないことだった。闇の王の興味本位に感謝しなければならないだろう。
最後の一撃を受けて、最終皇帝という器に宿っていた闇の力が霧散していく。それを見届けた次の瞬間、空に無数の扉が浮かんでいるのを見て、連接領域に戻ってきたことがわかった。グレロンから弾き出されたのだ。
果たしてグレロンは凍結の呪いから解き放たれたのか否か、哲人や戦士が気にして討論を始めていたが、将軍にとっては最終皇帝であった者の成れの果てを倒したことで、グレロンでの旅の目的は達成したとみなせた。それは、長い執着の終わりだった。
とはいえ清々しい気持ちすら抱いていたのは将軍だけで、唐突な幕切れは、闇の王にも予想外の展開であったらしい。闇の王は少しだけ残念そうに、グレロンとアレクサンドルに別れを告げていた。
「闇の王にも予想外の展開というのがあるのだな」
「将軍の作戦計画と同じだ」
揶揄された闇の王は、しかし鷹揚に頷いた。
「実行には常に不確定要素が付きまとう。それをコントロールし戦場を支配するのが将軍の力量という物だろう」
思い掛けず闇の王から自身の評価を聞くことになり、将軍は一瞬押し黙った。欲していたものがこんな簡単に手に入ったことに、言葉を失ったのである。
「では、伯爵は闇の王と呼ばれるのにふさわしい力量の持ち主だな」
そう返したものの、最初から闇の王がその称号に相応しい人物であることは分かっていた。そうでなければ、ブライトホームを出て行く決断は下せなかった。
将軍は、人々を率いて勝利を得ることはできる。逆に言えば、それしかできない人間だ。将軍には、行動の指針を決め、戦えと命じてくれる者、勝利を捧げるべき王が必要だった。
そこに「自身の力を認めてくれる」という点まで加わるのであれば、忠誠の対象としてこれ以上望むことはない。
将軍は闇の王を主君と認め、もう一度生まれ変わってみることにした。
こうして闇の王の眷属となった将軍は、旅の果てに闇の王の国に辿り着いた。そして将軍の指揮下、戦士団が玉座の簒奪者たる鎧の男を退け、主君のためすべてを取り戻したーーはずだった。
しかし次に将軍が目覚めたのは、ブライトホームの監視塔だった。
(後編に続く…)
小説なのか考察発表文なのか謎ですが、次作はないつもりで将軍に関する妄想詰め込んでます。
一応プロット上はちょうど半分になる位置で区切りましたが、万一次回投稿タイトルが「中編」になっていたら計画性のなさを笑ってください。
なんにせよ、最低限未完にしないことを目指して頑張って早く続きを書きます。
なお、タイトルは、将軍のブラッド技「ギタン・ル・プープル」から元ネタに一旦戻って、将軍らしくアレンジさせてもらいました。
将軍のグレロンでの結末については、
- 暗殺されかけた時点で自殺した
- クーデターの首謀者になった
- クーデターとは無関係だが自分の目で帝国の末路は見た
- クーデターとは無関係だし帝国の末路は伝聞
の4パターンを考えていますが、1番目は将軍が帝国の末路を知っていることから否定材料が多く、2番目は納得度が高いけれど最終皇帝仲間ルートの時の将軍の精神状態が懸念され、4番目は最終皇帝への執着具合を考えると納得し難いところがあり、今回は3番目を採用しました。