五十音順キャラクター・ショートショート【う】
→ルールは2012年12月17日記事参照
歌を覚えている。
料理を作りながら、洗濯を干しながら、母アンヌが口ずさんだあの懐かしいメロディ。
――けれど、記憶はある箇所で途切れている。頭の中で同じフレーズが繰り返されて、先に進むことができない。
「なんて曲なの?」
小骨が引っ掛かっているような気持ちの悪さを仲間たちに譲り渡してやろう、と思って挙げた話題に食い付いたのは、弟皇子暗殺の冤罪を着せられて逃亡中、心が苦しくて何もする気力がないと言って見張り役を免除された皇女である。
ウルは彼女の好奇心溢れる顔を十秒ほど眺めてから、一言答えた。
「知らね」
正直なところ、あの歌に名があると考えたこともなかった。
お手上げになるかと思ったが、彼女は一度気になったことは見過ごさない性格だった。
「ロシアの歌なら、あたしが聞いて当ててあげるわよ」
確かに、母の故国の歌である可能性は高い。
促されて、ウルは小さく歌を口にした。恥ずかしさと、少しの期待を乗せて。
だが返されたのは、難しい表情だった。
「あたしが知らない歌なんてあり得ない――てことはもしかして」
「ウルが音痴なんだら?」
皇女の自信過剰な台詞はウルの突っ込みを待っているかのようだったが、接いだのは、それ以上に捨て置けない発言だった。
「一番歌えなそうな奴に言われたくねーよ!」
歌えなそうな奴――ヨアヒムは胸を張り、自慢の筋肉を惜しみ無く見せ付けながら笑った。
「なにを言うだら。俺様が子供の頃は、聖歌隊で毎週歌ってただっち」
それは称賛されるべき行いだろう。ただし。
「吸血鬼が聖歌を歌っていいのか!」
ただし、吸血鬼でなければ。
「日曜はミサに行くものだっち」
「当然みたいな顔すんなよ! おかしいから!!」
だが彼の場合、ニンニクは好物で、十字架は大きさによっては武器にしたいと思っていても奇怪しくない。
そういう知人がいたような気もして、ウルは少し眉間に皺を刻んだ。
「ねぇ、やっぱりヨアヒムって吸血鬼じゃないんじゃない?」
なんだかバカっぽいし、と、彼が帝都から逃げ出した際の命の恩人であることは忘れたのか、皇女も明け透けなことを言う。
彼女の疑問はもっともだったが、朝起きたら透明化していたり、蝙蝠になっているヨアヒムの生態は、人のものでない。
「吸血鬼でないなら、なんなんだよ」
問い返せば、皇女は、年相応の子供っぽい仕草で首を傾げた。
「変態さん?」
子供の発言は時に残酷である。ウルは無意識のうちに一歩退いた。
「あぁ……うん、それで良いかもしんないね、うん」
プロレスをこよなく愛する筋肉ダルマな吸血鬼より、ただの変態の方が生き物として真っ当かもしれない。
そう思いながらウルが退いた一歩を、代わりにヨアヒムが進めた。
「変態ならウルの方がいっぱいしてるだら」
その一歩は地雷である。
「してねーよ! 俺のは“ひゅーじょん”だから! 『でゅわっ』だから!!」
由緒正しい変身ポーズを取り、悪魔を呼び出そうとしたその時。
「静かにしなさい!!」
脳天を貫く勢いで怒声が飛び込んできた。
否、音だけでなく、それは痛みを伴っていた。
「もう、外まで聞こえてたわよ!」
パーティの良心を自認するカレンが、部屋の扉を開けるなり叱責を浴びせ、同時にウルの頭を平手打ちしたのだ。その間、実に0.3秒の早業である。
「なんでオレだけ――」
腑に落ちず皇女たちの方を見やれば、いつの間にか、ポージングするヨアヒムをカメラに収める会が始まっている。
「ウルは見張りの交代よね」
美人が眼を吊り上げると、妙な迫力があった。がくがくと油の切れたブリキ玩具のように頷き返せば、ようやく見慣れた笑顔のカレンが戻って来たが、それが却って恐ろしい。
ウルはそそくさと武具を纏めると、これ以上文句を付けられない内に部屋を出た。それから一つ息を落として、歩き出す。やはり最後まで思い出せないあの歌を口ずさみながら。
だからその時、扉を挟んで同じフレーズが重なったことを知る者は、誰もいなかった。
歌の記憶
……ウルムナフ・ボルテ・ヒュウガ(ゲーム「シャドウハーツ2」)
書き出しが決まるまで長くかかったため、今日は間に合わないかと思いました。
凸凹コンビが登場してからは彼らが勝手に動いてガンガン話が進んで、今度は長くなり過ぎて間に合わないと思いました。
ウルのド忘れが激しいのは、勿論ヤドリギの呪い効果ですよ!