宮部みゆき著「ICO -霧の城-」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
角の生えた子供イコは、しきたりによりニエとして霧の城に送られる。親友が見つけた御印の力で拘束から放たれたイコは、鳥籠に囚われた少女ヨルダと出会う。ヨルダは城の主である悪しき魔女の封印であり、ニエによって生かされていた。イコは魔女を倒し、2人は崩れ落ちた城の外で再会する。

原作ゲーム「ICO」は、割と序盤(風車のエリア)で頓挫。
ちなみに、同じ制作チームのゲーム「ワンダと巨像」も、特に理由はなく途中で停止しているので、相性が良くないようです。ゲームの雰囲気は凄く好きなんですけれどね。

ノベライズ向きのゲームではないと思うし、実際、これが「ノベライズ」なのかと尋ねたくなりました。
あの語らないゲームから、ここまで話を膨らませるのは凄いです。でも、説明し過ぎていて、霧の城の曖昧さがなくなってしまっているように感じます。
原作ゲームは、それまで存在したゲーム文法から離れ、透明感のある世界でインタラクティブな体験をさせてくれたゲームでした。ほとんど自らは語らず、プレイヤーに委ねる仕掛け作りに心血が注がれていると思いました。
それに対してこのノベライズは、原作に比べるとごく普通の、体力や攻撃力が数値として目に見える「ゲーム」になっていました。
本来、小説の方がもっと自由に表現できるはずなのに不思議に思いましたが、本作の後に読んだ小説の解説に、こんな下りがあって膝を打ちました。
孫引きになりますが、引用させていただきます。

この作家の表現方法とは、宮部みゆきさんを評した「花を描くにしても」「まっすぐ花そのものに向かう」というタイプのそれではなく、また、その対として挙げられた高村薫さんの「『花でないもの』すべてを描き尽くした末に、花を浮かび上がらせようとする」やり方ともちがう(以上の評は新保博久さんが書かれていたもので、非常に印象深かったのだが)。

佐藤夕子 - 北村薫「六の宮の姫君」創元推理文庫解説より

結局「ICO」という作品と、作家の得意とする表現手法が合わなかったのではないか、と思います。

ノベライズとして考えなければ、設定も練ってあって読み応えのある作品でした。
特に、イコが城にたどり着くまでは独自のストーリーであり、村の風習やそれに対する人々の想いが絡み合って面白かったです。
霧の城の過去をすべて説明するヨルダ編以降は、良くも悪くも普通のファンタジー小説になっていました。

……そうして考えると、私が本作に引っ掛かるのは、“ゲームを遊ばない一般読者がこの本を読んで、「ICOというゲームはこういう話なんだな」と思ってしまうのではないか”というゲーマーとしての怒りゆえかも知れません。
ゲームのICOとはまったく別物だと分かって読んでいただけるなら、良いんですけれどね。
もし本作が二次創作としてネット等で発表されたものなら、良く練ってある!と賞賛した可能性もあり、その辺が公式ノベライズの難しさだと思います。

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