清水義範著「愛と日本語の惑乱」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
コピーライターの野田は、放送用語委員会やエッセイ出版を通して「言葉」について考える。やがて、同棲していた女優から別れを告げられたことを契機に、自分で適切な言葉の選択ができない奇妙な言語障害に陥ったことで、脳の中に心があり、その中に言葉があると実感する。

タイトル通り、確かに、愛と日本語が惑乱しているお話でした。
もっとも、言語障害に陥るのは終盤で、しかも後はダイジェスト的に解決するので、基本的には日本語を中心とした言語にまつわるトリビア本という印象。表記統一、差別用語、語の本来の意味と使いかた等といった言葉を使う上で勉強になることから、「いわずもがな」等の日本語の音の面白さまで語られていて、「あるある」だったり勉強になったりしました。

私は言葉を扱う仕事の末端にいるので、「本来の使いかた」を意識するようにしていますが、本書を読むと、言葉とは変わるものであり、新語や新しい意味が出てくる状態こそ正常なのだ、と思うようになりました。
主人公は若干攻撃的な性格なので、全部の主張に頷くことは出来ませんでしたけれどね。

言語障害の表現にタイポグラフィが使われている辺りは、ベスター著「虎よ、虎よ!」を思い出しました。

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