エラリー・クイーン著 越前敏弥訳「Yの悲劇」
【あらすじ】
奇人揃いの大富豪ハッター家で、三重苦の娘ルイーザを狙った毒殺未遂事件が起き、遂に母親エミリー老婦人がマンドリンで殴打され殺されるという奇怪な殺人が起きる。犯人に触れたルイーザは「すべすべした頬とバニラの匂い」がしたと証言するが――
日本では最も人気のあるエラリー作品と名高い小説。
……なのですが、個人的には、犯人が分かっているのに、遅々として捜査が進まないということに、非常にイライラしながら読みました。
後でレーンが「その時点で犯人を言っても、突拍子もない人物だから信じてもらえないと考えて言わなかった」と告白しますが、途中、警視たちと意見を出し合っていた意味はなんだったのかと憤ってしまいました。
なぜ、確信が持てないという理由で、調べるべき事項を見過ごすのか。
その上、真相(犯人)に辿り着いてからも、自分の判断で口を閉ざした挙げ句、協力を放棄しようとするのです。
この辺は、読書中ずっと引っ掛かってしまいました。職業意識の差でしょうか。
でも、探偵の行動は不正義で不合理だと思うのです。
第一、レーンは犯人の犯行を社会の罪だと断じているけれど、本当にそうでしょうか。少なくとも私にはピンと来きませんでした。結局、司法の手に委ねない判断をしたレーンは、独りよがりに感じます。
犯人が直ぐ分かった点については、ミステリーにおいて「傑作」と呼ばれる以上、真犯人は「意外な人物」だという先入観があったから、直ぐ犯人を導き出せたのかもしれません。
凶器として「マンドリン」が使われた理由は、完全に読み違えていたので、なるほど、英語ならではの理由だと感心しました。
腑に落ちない幕切れについては、完全にネタバレのため隠します。
警察は、ドルリー・レーンを捕まえるべきじゃないでしょうか。
探偵が、司法によらず自らの手で犯人の更生を見極めたり、罰(死)を下すとは、おかしな話です。
毒入りミルクをすり替えたか否かは断言できませんが、少なくとも、犯人の手に毒があると知りながら、当局に知らせないという不作為をしています。
良心の呵責に苛まれている様子があろうとも、主人公が犯罪者に犯罪をもって対抗した時点で、偽善だと思いました。