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デュウィ・グラム著 安原和見訳「オーシャンズ11」

2001年版(リメイク版)映画「オーシャンズ11」のノベライズ。
映画は未見。舞台版(宝塚)の知識しかありません。
舞台版とは大きくプロットが異なり、各人の役回りにも違いがあるのですが、意外と全体の雰囲気は変わらないと思いました。そして私の場合は、映画俳優より役者の方が印象が強いので、ダニー、バシャー、イエン、リビングストン、ベネディクトは花組版キャスト、ソール、ライナス、フランクは星組版キャストの顔で補完されました。

私は「ピカレスクロマン」が不得意なのですが、本作の場合は犯罪とはいえ「一大プロジェクト」を描く作品なので、ごく普通に楽しく読めました。
標的のベネディクトが、結構しぶとそうな野心家なのも良かったです。

訳はやや直訳気味に感じました。説明がない部分はまったく説明がないので、ある程度読み手に理解力がないとなにを描写しているのかわかり難い箇所がありました。
お洒落な会話は解説しなくても良いけれど、プロジェクトに関わる部分は、明瞭にして欲しいです。例えばブルーザーとダニーの関係性等は、語らなくても「買収済み」程度の想像はつくけれど、以前からの知り合いのような描写なので、多少説明して納得させて欲しいな、と思ったりしました。

エレナ・ポーター著 村岡花子訳「スウ姉さん」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
父の倒産と病気によって、スザナは慣れない家事を切り盛りしつつ、ピアノ教授で妹と弟の学費を稼ぐ日々を始める。ピアニストの夢を諦め、婚約者の愛も失い、ひたすら家族に尽くすスザナ。そんな中、地元の名士であるバイオリニスト・ケンダルの伴奏をしたことが切っ掛けで、二人は密かな恋情を抱く。妹弟の結婚、介護していた父の死を機に、自分自身の夢に戻ることを考えるスザナだったが、誰かに必要とされることこそ喜びだと教えられ、ケンダルのプロポーズを受ける。

読んでいる間は、我慢強過ぎるスウ姉さんにイライラしました。心を病んだ父はともかく、姉の犠牲に気付かない鈍感な妹や弟のために、なぜスウ姉さんがここまで自分の人生を犠牲にしなければいけなかったのでしょうか。
終盤、ようやく妹と弟が心を入れ替えるシーンがあって、これで報われるのかと思いきや、読み終わって更なる歯痒さを覚えました。

本作では、人に尽くす生きかたを「善」として描いています。それは確かに高尚なことだけれど、それがすべての人間の喜びなのかは疑問です。
終盤、女流ピアニストという人物が出てきて、「絵画の道を諦めたメリイ女史」というもう一人の「スウ姉さん」と言える人物のことを語り、家族に尽くした人生を「本当の生きがいのある生活」と語ります。しかしメリイ女史自身は、

「あなたはほんとうに生きがいのある生活をしている。私なんかはまったく無意味の生存だ」

と手紙に書いて寄越しているのですから、実際は自分の人生に満足していないのです。
こんな一面的な女流ピアニストの言葉に感化され、家族に尽くす道に戻ったスウ姉さんに脱力しました。
結末に関しても、結婚を女の幸せとする価値観は構いませんが、なぜ職業人として自立する夢と結婚を両立できないのでしょうか。ケンダルと結婚した上で、伴奏者としてピアニストの夢も完遂するラストであれば、報われた感じがしたと思いますが……。

「本人が心からしたかったことを諦める」という苦過ぎる終わりに、時代の差を感じた読書でした。

バーネット著 伊藤整訳「小公女」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
ロンドンの寄宿舎に預けられていたクルウ大尉の一人娘サアラは、父の急死により身寄りも財産も失い、裕福な暮らしから一変、屋根裏に追い立てられ使用人にさせられる。しかし貧しい暮らしをしようとも、「公女様のように振る舞いたい」と心掛けるサアラの態度は、密かに人々の心を打っていた。やがて父の共同出資者だった大富豪の紳士と巡り会い財産を取り戻したサアラは、経験をもとに、ひもじい子供への慈善を行うようになる。

世界名作劇場「小公女セーラ」の名前で馴染んでいるため、「サアラ」読みに最初戸惑いましたが、昭和二十八年発行という古い訳本にしては、比較的読みやすい訳でした。

児童文学の傑作だと思います。
本作は、岩波少年少女文学全集かなにかで読んでいましたが、大人になってからは初めての再読。展開は全部知っていたけれど、人々の態度の変化は改めて気付いた点のように思います。子供たちの中で本気でサアラにキツく当たる者は、最初から気が合わない者であって、小さい子供たちは周りの大人の態度に引き摺られているだけだと感じました。

主人公サアラは7歳の幼い少女なのに異常に「できた人間」なので、立派だと感心はするけれど、共感は難しいです。いけ好かないと感じるラヴィニアの気持ちもわかります。
自分の空想に支えられている、という点は、赤毛のアンや少女パレアナ(ポリアンナ)等、多くの少女小説の主人公と一緒ですが、自分の苦しい環境を少し楽にするだけでなく、気高く生きるという時限にまで達しているので、応援せざるを得ないと感じました。
そしてそんな彼女だからこそ、腹が空いていることを激白するシーンでは、アーメンガアドと一緒に衝撃を受けました。
終盤、料理等が届けられる「魔法」の下りは、それを受けるサアラたちの視点からも、仕掛け人の視点からも、嬉しく心が弾み、以降は結末まで暖かい気持ちで読めました。

イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳「黄金の少年、エメラルドの少女」

美しいタイトルと裏腹に、非常に深い陰影を持つけれど頑なな人々と、灰色の世界が描かれた作品集でした。

中・短編9作を収録。

  • 優しさ
  • 彼みたいな男
  • 女店主
  • 火宅
  • 花園路三号
  • 流れゆく時
  • 記念
  • 黄金の少年、エメラルドの少女

どの作品も、最初から最後まで読まないと、語っている内容がなかなか掴めない作りだと感じます。
そのため、一作目の中編「優しさ」は、着地点どころか出発点も定かでないまま、淡々とした語りを読まされ、非常に苦労しました。二作目以降は、作風を理解したのと、比較的短くまとまっていたので、ある程度面白がることもできました。
しかし、全体的に人と人の距離や、分かり合えない怖さを漂わせて終わる物が多く、腹の座りが悪かったです。
そんな中、表題作の「黄金の少年、エメラルドの少女」は、割と優しい終わりで、最後にホッとしました。個人的には、読み飛ばしそうなくらいさらっと同性愛者であることを織り込んでいる箇所に唸りました。

表題作の他には、哀しい物語だけれど、三人の少女の別れが描かれた「流れゆく時」が好きです。
また、代理出産を題材とした「獄」は、テーマも興味深いし、無教養・無教育な若い女の描きかたとして勉強になりました。

ディムール・ヴェルメシュ著 森内薫訳「帰ってきたヒトラー」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
2011年8月30日、アドルフ・ヒトラーは突如ベルリンの公園で目覚めた。ヒトラーを模した芸人だと勘違いされた彼は、TVのコメディ番組に出演することになり、現代政治への強烈な「ブラックジョーク」で一躍人気者になる。そして、遂に現代政治に参画する再起のポスターが刷り上がる。

本書は全編、ヒトラーのモノローグで進むのですが、物事を彼流に解釈・再定義する様や、振る舞い、思考、演説力は正にアドルフ・ヒトラー。本人が現代に蘇って語っているかのようで、震撼しました。
これに関しては、訳も素晴らしい仕事をしていたと思います。
また、文庫版には注釈が着いているので、文化背景の違う日本人でも、全体的に理解し易くされていました。

前半はヒトラーが現代文明に戸惑う滑稽なシーンも多く、コメディではあるのですが、現代政治・社会への辛辣な視点には若干頷かされてしまう箇所もあり、とにかく最初から最後まで惹き付けられました。
ヒトラーは一切の妥協せず、1945年時点のナチズムのまま発言しているのに、誰もが彼を「変わり者だが才能のある芸人」と解釈しているせいで、彼の言葉を自分たちの文脈に勝手に置き換えて理解して受け入れ、熱狂していく様は、面白くもあるし、後ろめたさも感じさせられます。

後書き等で色々と危惧が書かれていましたが、こういう作品が、きちんと「風刺」として受け入れられるドイツは健全だと思いました。