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エレナ・ポーター著 村岡花子訳「スウ姉さん」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
父の倒産と病気によって、スザナは慣れない家事を切り盛りしつつ、ピアノ教授で妹と弟の学費を稼ぐ日々を始める。ピアニストの夢を諦め、婚約者の愛も失い、ひたすら家族に尽くすスザナ。そんな中、地元の名士であるバイオリニスト・ケンダルの伴奏をしたことが切っ掛けで、二人は密かな恋情を抱く。妹弟の結婚、介護していた父の死を機に、自分自身の夢に戻ることを考えるスザナだったが、誰かに必要とされることこそ喜びだと教えられ、ケンダルのプロポーズを受ける。

読んでいる間は、我慢強過ぎるスウ姉さんにイライラしました。心を病んだ父はともかく、姉の犠牲に気付かない鈍感な妹や弟のために、なぜスウ姉さんがここまで自分の人生を犠牲にしなければいけなかったのでしょうか。
終盤、ようやく妹と弟が心を入れ替えるシーンがあって、これで報われるのかと思いきや、読み終わって更なる歯痒さを覚えました。

本作では、人に尽くす生きかたを「善」として描いています。それは確かに高尚なことだけれど、それがすべての人間の喜びなのかは疑問です。
終盤、女流ピアニストという人物が出てきて、「絵画の道を諦めたメリイ女史」というもう一人の「スウ姉さん」と言える人物のことを語り、家族に尽くした人生を「本当の生きがいのある生活」と語ります。しかしメリイ女史自身は、

「あなたはほんとうに生きがいのある生活をしている。私なんかはまったく無意味の生存だ」

と手紙に書いて寄越しているのですから、実際は自分の人生に満足していないのです。
こんな一面的な女流ピアニストの言葉に感化され、家族に尽くす道に戻ったスウ姉さんに脱力しました。
結末に関しても、結婚を女の幸せとする価値観は構いませんが、なぜ職業人として自立する夢と結婚を両立できないのでしょうか。ケンダルと結婚した上で、伴奏者としてピアニストの夢も完遂するラストであれば、報われた感じがしたと思いますが……。

「本人が心からしたかったことを諦める」という苦過ぎる終わりに、時代の差を感じた読書でした。

バーネット著 伊藤整訳「小公女」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
ロンドンの寄宿舎に預けられていたクルウ大尉の一人娘サアラは、父の急死により身寄りも財産も失い、裕福な暮らしから一変、屋根裏に追い立てられ使用人にさせられる。しかし貧しい暮らしをしようとも、「公女様のように振る舞いたい」と心掛けるサアラの態度は、密かに人々の心を打っていた。やがて父の共同出資者だった大富豪の紳士と巡り会い財産を取り戻したサアラは、経験をもとに、ひもじい子供への慈善を行うようになる。

世界名作劇場「小公女セーラ」の名前で馴染んでいるため、「サアラ」読みに最初戸惑いましたが、昭和二十八年発行という古い訳本にしては、比較的読みやすい訳でした。

児童文学の傑作だと思います。
本作は、岩波少年少女文学全集かなにかで読んでいましたが、大人になってからは初めての再読。展開は全部知っていたけれど、人々の態度の変化は改めて気付いた点のように思います。子供たちの中で本気でサアラにキツく当たる者は、最初から気が合わない者であって、小さい子供たちは周りの大人の態度に引き摺られているだけだと感じました。

主人公サアラは7歳の幼い少女なのに異常に「できた人間」なので、立派だと感心はするけれど、共感は難しいです。いけ好かないと感じるラヴィニアの気持ちもわかります。
自分の空想に支えられている、という点は、赤毛のアンや少女パレアナ(ポリアンナ)等、多くの少女小説の主人公と一緒ですが、自分の苦しい環境を少し楽にするだけでなく、気高く生きるという時限にまで達しているので、応援せざるを得ないと感じました。
そしてそんな彼女だからこそ、腹が空いていることを激白するシーンでは、アーメンガアドと一緒に衝撃を受けました。
終盤、料理等が届けられる「魔法」の下りは、それを受けるサアラたちの視点からも、仕掛け人の視点からも、嬉しく心が弾み、以降は結末まで暖かい気持ちで読めました。

エーリヒ・ケストナー著 池田香代子訳「エーミールと探偵たち」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
祖母のいるベルリンへ行く列車に乗ったエーミール少年は、居眠りした隙に、愛する母親から預かった金を盗まれてしまった。エーミールは、街の少年たちの協力を得て犯人を追い、金を銀行に預けようとした犯人を捕まる。

ケストナー作品は「飛ぶ教室」「二人のロッテ」を子供時代に読んでいますが、本書は初読。

展開は非常に真っ直ぐなものです。犯人は最初から分かっていて、少年たちがするのは尾行程度なので、無理がありません。
犯人を追い詰める段階になると、大人たちも、真面目に子供の話を聞いてくれます。
ただ、お金がエーミールの物だとどう立証するのか?という箇所が肝で、読み進めながら密かにドキドキし、この難問を解決できた瞬間、ホッと息を吐きました。

他愛無い話なのに、そうやって応援したくなるのは、エーミール少年が母親想いで性格の真っ直ぐないい子だからです。
また、金を盗まれたことを警察に訴えず自分で追い掛けることに、子供らしい理由があって、そこも可愛く、少年の思考として無理がないと思いました。

また、エーミールに協力する少年たちは沢山いますが、エーミールの祖母が言う通り、ディーンスターク少年が偉いです。
ディーンスタークは犯人の追跡をしたいと立候補しているのに、電話係にされてしまい、けれどその任を完璧にこなします。子供なのに仕事に対する責任感を抱いているのが素晴らしいし、且つそのことが最後にきちんと評価されているので、とても嬉しくなります。この辺は、ドイツの国民性かな、などと思ってしまいますね。

斎藤惇夫著「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
町ネズミのガンバは、イタチに襲われる島の仲間を助けようと立ち上がる。その勇気に心を動かされた15人が従い、彼らは夢見が島へ渡った。しかし島の仲間と合流したところをイタチに追い詰められ、海での玉砕を覚悟する。そこに海鳥の助力を求めにいったガンバが戻り、イタチを打ち倒すことに成功する。戦いの犠牲を胸に、今や冒険者となったガンバは島を旅立った。

テレビアニメ版のビジュアルはなんとなくイメージがあるのですが、内容はまったく記憶しておらず、こんな過酷で切ないお話だったのかと驚きました。
序盤はいかにも児童文学という感じだったのが、島に到着してしばらくする内に、島の高倉で比較的安全に暮らしていたネズミたちと衝突した辺りから緊張感が高まり、イタチに追い詰められていく様や、無情に犠牲者が出ていく戦いで手に汗握りました。
最大の戦いの場に主人公がいないというのも、思い切った構成ですよね。それまではガンバに焦点が当たっているけれど、この辺は群像劇のようにも見えました。

「ひとりとふたり」が死ぬ、というサイコロの警句の通りの終わりに、なるほどと唸りました。
仲間からの被害者がオイボレになることは予想していたけれど、もう一人がボーボというのは意外でした。だが、こういう足手まといのように思われている人物こそが、人間関係を円滑にする掛け替えのない存在だったりするんだと思います。その人物が生きている内には気付かなかったり、素直に認められないものですが……。

ボーモン夫人著 鈴木豊訳「美女と野獣」

15編のフランス童話集。教育者であったボーモン夫人の作品だけあって、どれも子供に読ませるのに最適の教訓が含まれた、道徳的なお話ですけれど、面白味もあって、優れた図書だと思いました。
収録作の中では「美女と野獣」と「三つの願い」が有名だと思いますが、原典はこういう話なんだな、と勉強になりました。例えば、美女と野獣の商人の家には、ベルと姉2人だけでなく兄3人がいて、意地悪な姉2人は石像になってしまうなんて、本書を読むまで知りませんでした。

基本的に愚かな者は報いを受けるのですが、「美しい娘と醜い娘」(原題“Bellotte et Lalderonette”)は少し違う展開で面白かったです。
美人だがオバカな姉ベロネットは王妃になるも、あっという間に王の寵愛を失って離縁されてしまう。醜い妹レードゥロネットは年上の大臣と結婚するが、非常に聡明なので夫からも王からも大事にされる。——と、ここまではよくある童話なのですが、このあとベロネットはレードゥロネットの助言を受けて勉強し、賢さで王の愛を再び手に入れるという逆転物語なのです。
一度間違っても、やり直しがきく優しさがあって、素敵なお話だと思いました。

カバー装画(東逸子)も素敵ですが、本文中の挿絵は、19世紀初頭の版で使われていた石版画ということで、お伽噺の雰囲気を盛り上げてくれます。
ただ、訳に若干引っ掛かって、浸りきれなかったのが残念です。