津村節子著「さい果て」

「重い歳月」の作中で、主人公が書き、評価を受ける私小説に興味が湧いたので、その小説にあたるだろう本書「さい果て」を読んでみました。

私小説的ではあるけれど、決して私小説ではないのですね。
「重い歳月」でも、作者は分身のごとき主人公・章子と自身の間に線を引いていると思ったけれど、「さい果て」の春子は、小説を書く夫・志郎を理解できない普通の女に設定されているので、より距離感があります。
これは作者の照れというより、あくまで小説として面白くするための抑制だと思います。自伝ではなく、小説ですから、ただ事実を物語るのではなく、よりテーマを分かりやすく脚色しているわけです。
つまり、この作品が描いているのは、理解できない生き物(男女)が暮らすという可笑しみと哀しみでないかと思いました。

春子も志郎も、私からすると理解に苦しむ人物で、読んでいて気持ちのいい作品でもないのですが、なぜか非常に満足感のある読書でした。

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