中沢けい著「楽隊のうさぎ」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
中学校に入学した克久は、ブラスバンド部でパーカッションを担当することになった。苛めに遭い心を閉ざしていた克久だったが、次第に音楽の面白さに夢中になり、その瞬間しか作り上げられない一曲を生み出す一体感を経て、1人の自分という存在を捉えられるようになる。

これまで読んだ吹奏楽+部活小説は「スウィングガールズ」「吹部!」と勢いのある作品が多かった印象ですが、本作は理論的。
もっと突き詰めて言うと、これは本当に「小説」なのだろうか? と腑に落ちないまま読み終わりました。お話自体は粗筋の通りなのですが、作品のテーマ性は粗筋とかみ合ってないような気がしたのです。
そう感じた理由は、解説の下記の部分を読んで、少し理解できたように思います。

この一節は主人公克久少年の視点でも、母親の視点でもない、いわば作者が直接顔を出して読者に_語りかけているが、このスタイルを見ておやと思う読者もあるに違いない。(中略)彼女の他の仕事を少しでも知る読者から見れば、この『楽隊のうさぎ』は、文学論的に言えば明らかに一歩退いた手法だと思われるはずだ。

個人的には、まるで解説本やビジネス書を読んでいるような、淡々とした語り口だと感じてしまいましたが、この手法によって、作者は自由に語ることができたのかもしれません。
私の印象としては、色々なエピソードが「出来事」として羅列されていて、起伏がないと思いました。特に、いじめ問題や家族関係といった様々な要素が盛り込まれており、その描写に尺を割いているせいで、肝心の「音楽」を掴んで成長する部分がいつの間にか流されていました。
時間の流れ方も一定でなく、場面転換が唐突で、短期間のことを細かに描写したと思ったら、大きな変化があった筈の時間軸に関して描写が抜け落ちていたりします。人間の意識としては、ある時期の記憶が希薄だということは間々ありますし、克久の心理も母・百合子の心理も非常にリアルなのですが、小説としては少し戸惑わされました。

演奏や練習に関しては、非常に真面目に書かれているので、恐らくブラバン経験者は頷きつつ楽しく読めるのだろうと思います。
特に、最後の全国大会は、「シバの女王ベルキス」の第二楽章〜第四楽章を聞きながら読みたいと思いました。演奏に対する高揚感もあって、このシーンは純粋に音楽小説として惹き込まれます。
また、タイトルに登場する「うさぎ」という小道具によって、克久の本音や、それと逆に本心なのかもよく分からない持て余してしまう気持ちなどが表されていて感心しました。

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