ウィリアム・シェイクスピア、ジョン・フレッチャー著「二人の貴公子」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
厚い友情で結ばれた従兄弟同士の王子アーサイトとパラモンは、共に王女エミーリアを見初めたため命を掛けた決闘を行う。戦いの果てに勝利したのはアーサイトだったが、直後に落馬してしまう。絶命の寸前、彼は勝者の権利を譲り、パラモンがエミーリアと結ばれる事になる。

二人の貴公子は、近年新たにシェイクスピアの作品と認定された戯曲。
昨年、これを元にした月組バウ公演があり、未見ながら気になっていたので訳本を読んでみました。

アーサイトが追放処分になり、パラモンが牢に残された時点で、「真夏の夜の夢」のように幾つもの組み合わせと視点で話が交錯するのかと思いましたが、直ぐ二人が再会して決闘話になるので、纏めてしまうとかなり短いお話でした。
二人の貴公子は、アーサイトの方がやや現実的で、パラモンの方がやや理想主義的に見えて、実はお互いの持っていない面を愛してる印象を受けました。この二人、お互いを欠いて生きていけるのか疑問で、終幕後の展開に明るい想像が描けません。
エミーリアがもう少し能動的にどちらかを愛すとか、せめてフラヴィーナの思い出より二人を愛しく思うような事があれば、決闘の意義を感じられそうです。
もしこの戯曲を元に私が創作するならば、二人が失う物に釣り合う価値を決闘に付与するとか、決闘に助太刀する計六人の騎士の背景を書き込むとか、そう言う事になりそうです。

牢番の娘は、結構な紙面を割かれているのに、パラモンを脱獄させる以外ではまったく本筋に関わらないことに拍子抜けしました。
しかし求愛者の愛の深さは凄いですね。どういう経緯でこの二人が出会ったのか等が気になりました。娘がパラモンと結ばれる翻案はあるそうだけれど、求愛者と結ばれる翻案はないのかな。
解説にある、フレッチャーとシェイクスピアが夫々どのシーンの執筆を分担したか、と言う説明を読むと、成程と頷かされます。詩的な長台詞は、やっぱり如何にもシェイクスピア風。一方フレッチャーの言い回しは、牢番の娘の顛末も含めて少し官能的ですね。

ところでこの本、役名の後に10文字分以上のスペースが設けられた後に台詞が書かれている行があったり、ト書きの記載方法が一定でないなど、レイアウトがちょっと妙で読み難いです。
元々の原稿がそのようになっていて、忠実に再現したと言うことなのでしょうか……?
戯曲と言う形式自体があまり親しまれる形でないので、せめて読み易い体裁が良かったなと思います。

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