妙に語りたくなる「エリザベート」話。
今日は、ゾフィーを取り巻く重臣たちについて少し考えてみます。
なお、重臣たちとひとまとめにしましたが、あの役は全員名前があるんですね。確かに、舞台上にいる時間の合計だけならルドルフより出番がありそうですし、1人くらい不在でも分かるまいと思いつつ、欠けたら寂しい気がするので、名前があっても良いのですが意外でした。
初登場の「謁見の間」は、全員それなりに立派に見えたのですが、やはり印象に残るのは「ゾフィーのサロン」での毒婦送り込み会議。本当にお茶目でヘタレで可愛らしいオジサマたちだと思います。なんせ、上級生が少ない昨今の宝塚事情ゆえか、皆無駄に美形なのです。
ゾフィー退場後は重臣たちもまったく出番がないので寂しいですね。宝塚版には依然ない「ゾフィーの死(Bellaria)」が組み込まれていれば、また少し違ったのでしょうか? いえ、しょせん脇役である彼らの待遇は変わらな気がします。そもそも、その先の時代には、重臣たちも一線を退いていたのかも知れません。2幕ではゾフィーと同じ進行で老けメイクをしていたことから考えると、彼女と同世代なのでは。だとすると、ゾフィーのサロンとは、若かりし頃のゾフィーが開いていた集いから、政治的な思惑を持った連中がそのままスライドして彼女を取り巻いていたんでしょうね。
……などと、脇役だけに全然情報がなく、勝手に空想を広げてしましました。
どなたか、重臣たちで二次小説を書かれませんか。私は読みますよ。
ちなみに1幕で、ハンガリー訪問に同行するよう懇願する陛下のバックコーラスを歌っていた重臣たちの歌詞がまったく聞き取れていません。個人的に気になっているので、何を言ってるのかご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。
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宝塚雪組「エリザベート」公演で、ルドルフの印象が変わったと書きましたが、もっと具体的に言うと「小さい役」だと思ったのでした。
(以下、すべて青年ルドルフの話です)
私はこれまで、ルドルフは宝塚で言えば四~五番手の役だと認識していました。もちろん、比較的若手に回されるという点は考慮するとしても、ショーでの男役群舞がS=トート、A=フランツ、ルキーニ、ルドルフだったので、大幅には外していない認識だと思っています。
実際の舞台上においても、登場は2幕のみとは言え、「闇が広がる」「僕はママの鏡だから」の2曲があり、両主役と関係する美味しい役。得意分野が演技でも、歌でも、ダンスでも、とにかく一つは魅せることが出来る程度に場が与えられていますよね。だから、役不足ということはないはずです。
でも、凄く印象が小さい。
何故そう思ったかとよくよく考えた結果、役が小さいと言うよりも、弱い人なのだと思い当たりました。
歴代ルドルフについては「闇が広がる」のシーン(映像)しか見たことがありません。この場面限定での印象は、トートに唆され、独立運動決起を決意するというものでした。
ところが実際は、この後エルマー達と相談し、まだ決起しようとしないものだから彼等からも促される。そして遂に運動が起こるものの、ここに至ってもルドルフが自ら立ち上がったようには見えませんでした。周囲が動き出し、流されて旗頭に担ぎ上げられてしまった表情をしている。
父に叱責を受け、母から拒絶されて生きる意味を失うことから見ても、ルドルフは、他者に依存している。
このルドルフが唯一自身の意志を見せたのは、「闇が広がる」で、トートからの死の口づけを拒んだ時だけです(観た回だけかもしれませんが、凄い顔を背けてました)。
私にはそんなルドルフが、怯える子供に見えました。
一人ぼっちの暗く寒い部屋で、猫を殺して育ったルドルフ。「エーヤン!ルドルフ」と歓呼されることを夢想したのは、王座への欲望でなく、人から愛して貰いたかっただけなのではないでしょうか。
だからこそ人の囁きに左右され、けれどどちらかを選ぶことが出来ず流されるままに過ぎてしまった。その弱さが、彼を小さな人間にしているのです。
ルドルフ本人は、真っ直ぐな理念を持っていると思います。銃弾に倒れたエルマーを、彼はとっさに我が身で庇ったように見えました。ママに縋る時でも、彼は自身の継承権を訴えるのでなく、ハプスブルグの行く末を憂いて訴えるのです。
でもその優しさは、祖母ゾフィーが皇帝教育時に繰り返した「冷静に、冷酷に」とは真逆。愛されたい余り他人に左右される生き方は、母エリザベートの「私だけに」とも真逆。
ただの、トートに翻弄される普通の人間だから、彼は小さかったのです。
邦題「僕はママの鏡だから」は、原題を忠実に訳した場合「僕がママの鏡だったら」になると聞いた事があります。
――僕が、愛するママの鏡そのものだったなら、どんなに良かっただろう。
凰稀かなめが演じた雪組再演版ルドルフには、そんな悲哀があるように感じました。
予告通り観てきました、宝塚雪組「エリザベート」11時回。
事前に色々な評を聞いていて心配もあったのですが、始まればそんなものは忘れるほど面白かったです。
宝塚の一本物は集中力が持たないかもと思っていたのですが、全くの杞憂でした。もちろん、作品自体の力もあるのでしょう。また、基本的には芝居が好きという自分の素養もあると思います。
心配だった歌は大健闘でした。よく考えたら私は「ミュージカル テニスの王子様」で酷い歌唱に慣れてきているので、評価レベルが下がっているかも知れませんけれど。
大殊勲はゾフィー@未来優希。男役がゾフィーをやると本当に「宮廷でただ一人の男」になると言う好例だったと思います。また、気になるルキーニ@音月桂は、ちゃんと「狂人」になっていました。あんな濃い芝居をやった後に、キラキラしいスター路線に戻れるのかと今度は変な方向の心配をしています。
「エリザベート」自体はどんな作品か知っていましたが、初めて通し&生で観たので、印象が変わった役やシーンも多々あります。
一つはルドルフ。想像以上に出番が短く、文字通りあっと言う間に舞台上を駆け抜けて終わってしまうので、余程強く訴えないと印象に残らない難役だった事に気付きました。これまでは役の「美味しさ」に目がいっていたけれど、3時間の舞台の中で、彼は20分くらいしか出てないですよね。
もう一つは、フランツの弱さ。優しい善い人であることは伝わってきたけれど、このフランツを観ているとルドルフのマザコンは遺伝だなと思ってしまいました。
本当に、出来る事ならばもう一回くらい観たい演目だと思います。トート閣下がいつの間にかウィーンのカフェに現れる瞬間だったり、私だけに(リプライズ)でオーケストラピットから銀橋にこっそり待機する瞬間だったりを見逃したのが悔しい。いや、そんな小ネタに走らずとも、純粋にもう一度観たい箇所が多々あるのですが。
また細かいシーンの事を取り上げるかも知れませんが、取り敢えず、全体通しての現時点での感想は以上です。
最近「宝塚ファン」と認識して頂くことが増えましたが、私の宝塚観劇歴は、自分でも驚くほど浅いです。
初体験は、絵麻緒ゆう退団公演・雪組「追憶のバルセロナ」。
ロベルト@朝海に見惚れ、「彼が次期トップだから次の公演も通えば」と同行者に囁かれつつも、この一作で取り敢えず宝塚というものを体験した事に満足し、その次の機会には数年を隔てました。
次の観劇が、その朝海ひかる主演で雪組「霧のミラノ」。
朝海ひかるという人は、ロベルト役を見た時「格好いいけれど線が細いから真ん中は心配」と言うのが正直な感想でした。でも、トップ就任後の歳月が彼を変えていたのか、しっかりした存在感で真ん中に立っていたので、改めて「私のロベルトは凄いわ」とミーハーに誉め称えました(笑)。
この「霧のミラノ」で気になったのが、クリスチャン中尉@音月桂。実は「追憶のバルセロナ」にも出演していたようですが記憶に無いので、彼を「知って」から見るのは次が初めてと言う事になります。
と言う訳で、長い前フリでしたが、明日がようやく観劇三回目。水夏希お披露目公演・雪組「エリザベート」なわけです。
三度目の雪組。間が空いているせいでトップも三人目。
大変な幸運で譲って頂いた貴重な人気演目チケットなので、今からドキドキし通しです。遠足日前の子供の心境で、今日は早く就寝したいと思います。