チェーホフ著 神西清訳「かもめ・ワーニャ伯父さん」
「素足の季節」(2015年3月25日日誌参照)で「かもめ」が取り上げられていて、興味を持ったので読んでみました。
しかし、肝心の「かもめ」は読みかたを間違えて、一読した時点では論点がわからず戸惑いました。というのも、「素足の季節」では重要な役になるマーシャが、脇役なんですね。
マーシャのことは本筋でないと把握して、トレープレフ(コスチャ)とニーナ、アルカージナとトリゴーリンの4人に絞って読み直すと、なるほどと思う作品でした。でも、自分が実際に舞台で観たいかと問われると、あまり前向きな答えは出ません。
現実に挫折する若者2人の内、それでも女は生き、男は自殺するというところは、チェーホフが考える男女の差なのかしら。
「ワーニャ伯父さん」は、ある程度話が進まないと人物像が掴めず、戯曲の難しさを感じました。例えば、ソーニャが不器量だなんて会話だけでは最初は分からないし、エレーナがそこまで人を狂わせるような美女とも感じられませんでした。
女性陣のそういう設定が分かってから読むと、ある程度腑に落ちたのですが、それが分かるまでは困惑しました。
ロシア人は、ただでさえ難しい名前と愛称をしているのに、不必要に感じるくらい登場人物が多くてややこしい人間関係なので、戯曲形式だと頭がこんがらがりました。