麻生は字書きを自称していながら、きちんとした文学を読んでいません。
当初は至極真っ当な文学少女だった為、児童文学は大体読破しているのですが、背伸びしたくなった年頃が早過ぎて「老人と海」「失われた時を求めて」「赤と黒」等を小〜中学生頃に読んでしまい、何が面白いのかさっぱり分からず、その頃からライトノベルに脱線してしまったのです。
その後は「有名作に手を出したくない」と言う例の天の邪鬼性格が追加され、増々文学から遠離る事になってしまいました。
が、最近色々な要因があって、唐突にS.フィッツジェラルドの小説が読みたくなりました。
生憎、実家本棚に存在するアメリカ文学小説は数える程のため、意欲と購入に関する面倒を天秤に掛けて検討していたのですが、家人から図書館に行けと追い出されたので、数年ぶりに公立図書館へ行ってきました。
代表作である「華麗なるギャッツビー」が無難かなと思って書架検索をしたところ、なんと館内所蔵の3冊がすべて貸出中。
仕方ないから「夜はやさし」で良いか、と思ったらこちらは1冊のみで貸出中。
凄く意外だったんですけれど、今、フィッツジェラルドって、局地的流行でもしているのですか?
結局フィッツジェラルドの本は短編集しか残っておらず、長編を書く事に心血注いでいた作家なのに、短編から入るのも悪いような気がして、断念。
で、代わりにフィッツジェラルドとは縁深いヘミングウェイの「武器よさらば」を読む事に。
純粋な知名度ならフィッツジェラルドよりヘミングウェイの方が上では、と思うのですが、こちらは書架にたっぷり残っていたので、二種類3冊(訳者違い)借りてしまいました。
取り敢えず、二種類を読み比べて原文を想像しながら牛歩の読書開始です。
「老人と海」の印象は全く記憶に残っていないのですが、改めて接すると、ヘミングウェイの文章は非常に淡々としてますね。今のところ、情景描写と会話しかない印象です。特に吃驚するのは、主人公の一人称なのに、主人公が何を考えてるのかさっぱり分からないと言う点。
これが“ハードボイルド”かと開眼しつつも、「面白いか」と聞かれたら、「私は面白くない」と答える自信があります。アメリカ文化やアメリカ文学に慣れてないと、真価が分からないのかも知れませんね。E.ヘミングウェイと言う人間自身が、私から見れば実にアメリカ的でもありますし……。
そんなわけで、予約した村上春樹訳の「グレートギャッツビー」が来たら、放り投げるかも知れません──ので、放棄防止のため日誌に読んでる事を書いてみました。
ところで、性格の不一致だとか、著作での実名批判等の問題から、フィッツジェラルドとヘミングウェイは絶縁していたのだと勝手に思っていましたが、実際は死ぬまで文通をしていたんですね。
二人の手紙をまとめた「フィッツジェラルド/ヘミングウェイ往復書簡集」が読みたくなりましたが、図書館に入っていませんでした。買うと……後悔しそうな気配がする(苦笑)ので少し間を置こうと思います。