最大の山場なので、1場分だけですが長くなりました。
【第2幕7場】
スコットは再び長編小説に取り掛かるが、批評家たちやアーネストの幻覚に苦しめられ、原稿は読める文章にならない。やがて秘書ローラや編集者マックスも彼の側から離れて行く。ゼルダの愛やスコッティの信頼も重く伸しかかり、発狂するスコットの脳裏に最後に蘇ったのは、公園で会った学生の姿だった――
大好きであると同時に、作中最も重苦しく感じるシーンです。
長編を書く気持ちがあるのに思うように書けない苦悩は、アマチュア物書きの私でも身に凍みていますが、職業作家は生活にも直結しているし、自負も大きい筈。多少同調出来るが故に、それを超える苦しみだと思うと酷く沈鬱な気持ちになります。
このシーンで流れる「芸術と死(ヘミングウェイのテーマ)」は、作中の楽曲中唯一の日本語タイトルで異彩を放っていまね。曲目リストで探す時は探し易くて助かります。
「テーマ、登場人物、ストーリー」の三要素の内、単に面白い作品を書く流行作家で終わるか、世界に認められる大作家になるかの差はテーマかな、と思います。自分では、テーマなんてちゃんと据えた作品はないのですが……。
男役に翻弄されるダンスの末、結局行き着くところはアーネストの前である事に、スコットの意識の前に立ち塞がるアーネストと言う存在の不気味な巨大さを感じます。
自分自身の生活のため、スコットを見放さざるを得ないローラとマックスの苦悩も分かるし、それによるスコットの更なる絶望もよく分かります。どうして此処まで救えない状態に陥ってしまったのか、無情です。
個人的には、一読者としてスコットのファンだった筈のローラが離れていくのが一番辛いです。出て行った彼女には聞こえるはずがないのに、スコットが呼ぶ声に一度立ち止まり、身を隠すように立ち去る演出に、ローラの悲しみを感じます。
そして、マックスにもローラにも見放されたと知った瞬間の、蝋人形のようなスコットの表情。観ているこちらをドキリとさせます。
第一幕2場と同様、「ねぇ、知ってる?」と言うあの特徴的な高い声が、今回もスコットを打ちのめす、その繰り返しの構造が深いと思います。
彼を非難し追い詰める言葉だけでなく、ゼルダが手紙に託した本心からの愛の言葉が、そしてあんなに笑い合いながら言い合ったスコッティの激励が、等しく重荷になってしまう辺りが、本当に優しくない作品だなぁと思います。でも本当に行き詰まってしまった時は、自分へ向けられる好意の存在こそ辛くなる面はありますよね。
そこから彼を救い上げる事になった、公園の学生の存在は、人生を1日にしたら1秒分もない出逢いだった筈ですが、そんな小さな要素で救われることにカタルシスを感じますね。
でも、もう一度立ち上がれたのは、やはりスコット自身の中に在る力ではないでしょうか。公園の学生は、そのスコット自身を喚び起こすキーだったのでしょう。