• 2009年登録記事

鈍足進行してましたが、25日に大江山花伝DVDが発売されるので、ちょっとテンポアップします。

【第2幕1場】
アメリカは大恐慌の中にあった――

トレンチコート姿のスコットが、最高潮に格好良い2幕開始。
しかし不安を掻き立てる音楽と振り付けで、暗い世界情勢を意識させられます。ドレスを着た女性のコロスが何を示すのか最初は分かりませんでしたが、恐慌の中でもアメリカンドリームを忘れられないスコットを現しているのかな。

【第2幕2場】
ゼルダの入院生活は続いていた。スコットはゼルダの精神を思い遣れなかった自身を悔やむ――

なぜか、ゼルダは、精神を病んでからの方が綺麗に見えて面白いです。
自分たちの生活を「正常でなかった」と語れるマトモな精神を持っていたのが、今後スコットの心にもたらす負担を増やしたのではないかと考えてしまいます。

【第2幕3場】
スコットは、ゼルダの入院費用や一人娘の学費等生活費の為に望まぬ短編を書く日々が続いていたが、遂に長編「夜はやさし」の執筆を開始する――

ここから登場する秘書ローラは、ちょっとオバさんちっくなキャラクター。ズケズケ物を言えて、演じるには一番楽しそうな役ですね。彼女は、電話の取り次ぎ等もしてるけれど、手書き原稿をタイピングすることが最大の仕事なのかな。
「時間的・経済的余裕がないと長編は書けない」と言う台詞が、売れない作家って厳しいよなぁと切実に感じます。

【第2幕4場】
出版した「夜はやさし」は大酷評を受け、今や大作家となったアーネストからは創作姿勢まで非難される。
スコットは、自分の命を燃やし続けていた“何か”が消えてしまったと感じる――

マックスは「仕事は結果」を持論にしつつ、スコット自身には慰めを与え、果たして本心は何処にあるのかと思わされますが、仕事人としてのマックスと、作家スコットの父としてのマックスと言う、どちらも内包しているのが実際のところでしょうか。スコットの背に手を伸ばすその手は、本当に優しいです。
アーネストは嫌味臭いけれど、結局は自分にも他者にも厳し過ぎるだけですね。二人の作風は全く違うので「こう書くべき」論はあまり意味を成さないと思うけれど、彼は絶対的に高い位置に自分を置いていないと堕落する恐怖があって、スコットを攻撃的に批判するのでないかな。
芸術家が大衆に媚びた作品を作ることを「身売り」と言うアーネストの表現は、凄くよく分かります。
原稿料前借り生活なのに、妻を高い病院に入院させ、娘を私立校に行かせているスコットは、正直アホ?と思います。アーネストから見れば、どう説明されようと完全に見栄としか思えない。いや、実際にただの見栄なんですよね。1幕ゼルダとの会話で「見栄っ張り」と言ってましたから。
で、「もうあんたと話す事はなさそうだ」と喧嘩別れしておきながら、この二人、史実ではスコットが死ぬまで文通してるんですよね。そう思うと面白いです。

ヴェスペリア映画が全盛ですが、シンフォニアOVAテセアラ編も、少しずつ動いていそうな予感。

http://www.machiasobi.com/event/ev_tos.html
初出し新作PVと言うのは、現在テセアラ編公式サイトで視聴可能なPVと別物なのでしょうか?
テセアラ編公式サイトで告知されているわけでなく、なぜわざわざ徳島マチアソビに出典なのかは不明ですが、露出が増える事は歓迎です。

取り敢えず、早く発売日が知りたいですね。

「キングダムハーツ」はじめました。

まだ、デスティニーアイランド2日目。卵とキノコ(残1本)が見当たらないですよ。
雰囲気は「不思議の国のアリス」みたいなところもあり、ちょっとダークな童話調で面白そうですが、3D酔いが酷くて1時間以上は連続プレイできません。
敵を倒すとフィールドにばらまかれる経験値を、自分で拾って獲得しないといけないのが面倒です。幾つか回収できず、無駄にした気が……。大神も同じシステムだけれど、そんなにしっかり接触しなくても吸収できましたよね。
「話す」アクションが、相当近付かないと効かないのが厳しいですね。
アクションをコマンド選択肢と組み合わせるシステムは、慣れるまでシンドそうです。

ソラとリクとカイリは、仲良し3人組だけれど、カイリがこの閉じた空間で、男の子たち共通のお姫様として存在する事で巧く機能してるような雰囲気。
リクはソラ&カイリより3歳くらい年上?
結構複雑で、この狭い世界の中のリアリティもあり、彼等の配置は興味深いです。

いきなり選択肢を迫られてちょっと吃驚しつつ、たぶん初期能力の能力値かなと思ったので、序盤が楽そうな「剣」を選択。差し出す力は「杖」にしました。
しかし本当に良かったのか心配だったのと、今ならやり直せるし、今回は最初から解禁で攻略サイトを覗いたところ、「杖」を差し出すとMPが減少、且つMPを上げる方法は以後ないんですね。しくじった!と思ったけれど、「剣」を差し出すのは論外だし「「盾」を差し出して「避け」に徹する自信もないし、完璧プレイがしたいわけでないので諦めます。魔法はドナルドの能力に期待しようと思います。

まだイベントでしか観れていませんが、あのドナルドの尻がぷりぷり動くのが可愛いです。仲間になったら後ろから凝視してやろう……と思ったけれど、操作キャラに出来るのはソラだけでしょうか?

劇場版「テイルズオブヴェスペリア The First Strike」鑑賞。

角川シネマ新宿で、公開初日の初回を観て来ました。さすがに盛況でした。舞台挨拶の付いてる2回目は、全席事前販売だったようですが、倍率はどのくらいだったんでしょう。
チケットカウンターの行列もなかなか見物でしたが、物販の列も、パンフを諦めようかと思うほどでした。ああ言う時は、パンフレットのみ購入者の列と、グッズ(パンフ含)で分けて欲しいですよね。うっかり仔ラピードキーホルダーとか買いそうになったし……
あと、男性率が意外に高かったと感じました。

さて、肝心の内容は、
仔ラピードが可愛い。仔ラピードが愛おしい。仔ラピードが飼いたい。
公式等で公開されてるスクリーンショットより、動いてる仔ラピードは数千倍可愛いです。甘えたり吃驚したり怒ったりと表情豊かで、欠伸したりお腹見せたり首根っ子銜えられたりと画面にいるだけで和みます。また、立ち上がった時にちょっと手足が太いのが、幼犬体形で良いんですよね。
私はランバード(ラピードの父犬)のエピソードで涙腺崩壊しました。その分、その後の約50分は後日談くらいの気の抜けっぷりでしたが(笑)。
ランバードは、成長後の本編ラピードに似てる容貌ですけれど、ラピードが「男前」なのに対し「美形」と感じました。だから、ゲーム設定通り母犬かと思ったら父犬だった。あの犬種はテルカ・リュミレースでは一杯いるんですね。

泣きあり笑いあり、アクションのテンポは爽快で、クオリティは高かったと思います。
お話は「過去編である」「ゲームに影響を及ぼすオリジナルキャラクターは、映画内で始末する必要がある」と言う点から展開が読める、スタンダードな感じ。
フレンとユーリは普通に年頃の男友達風味。ゲーム本編での互いに対する信頼と崇拝ぶりより、映画の方がリアルな人間関係だったと言えそうです。
ちなみに、ユーリと言うキャラは、普通の人は出来ない正義感による行動(ズルした相手を真っ向から非難する等)をしてプレイヤーをスカッとさせる要素があると思います。だからこそ、アウトローとして少し遠いところから観ている分には良いけれど、同じ団体の同僚としては遠慮したいですね。私は映画版フレンに同情します。

なお、戦闘描写中心のアニメを観た事がなかったため、血の表現が盛大で驚きました。あれで全年齢対象で良いものなんですね。転じて考えると、ゲームの年齢制限って随分厳しいですね。

ゲームとの矛盾と感じたところを上げようと思ってましたが、一つずつ出していくと面倒で、且つ既に他の方が出されてるでしょうから、あまり気にしない事にしました。
リタが欲しがっていたネックレスのようなものが、何だったのか分からなかったので、正解をご存知の方は是非教えて下さい。

大衆向けに売れる作品を書き殴る“流行作家”だって立派なものだと思いますが、スコットやアーネストは文芸と言う芸術作品を世間に認められる“大作家”を目標にしているので、その評価では自分が納得できないんですよね。どちらが良いとか上だと言う話ではなく、目指す所が違うわけですから。
一度“流行作家”ルートに進んでしまったスコットが“大作家”ルートに進むのは、レースゲームで逆走するような感じなのかも。

【第1幕7場】
アーネストは文壇に華々しくデビューした。米国は空前の大景気で、スコットは気違いじみた連夜のパーティと深酒に溺れて行く――

女優ロイス・モーランに対抗してバレエにのめり込むゼルダは、過度の集中で視野が狭くなっていて、精神病初期状態を良く表現していると思います。そして、初登場時よりも少女のように幼く見えるのが恐ろしいです。紫城るいって、声質が独特で役を選ぶけれど、芝居心のある役者だったんですね。
ライブ映像としては大変珍しい事に、このシーンはアングルが目紛しく揺れ動き、狂乱と悪酔いを表現していて、良いDVD演出だと思います。
アメリカの大恐慌直前は、実際にこんな状態だったんでしょうね。正直馬鹿げていて、マックスやアーネストが向ける軽蔑の眼差しの方に同感します。演技を見ていると、スコットも実際はこの生活を倦んでいるのに、ゼルダ(=自己を映す鏡)から眼を背ける代替物として馬鹿騒ぎが止められなくなっているのだと感じました。

【第1幕8場】
マックスの叱責を受けたスコットは、“ゼルダを愛し、世界最高の小説を書く”夢を思い出す。しかし1929年、世界大恐慌が起こる。そしてゼルダは精神分裂症と診断された――

心情を台詞で説明する芝居ではないので、あくまで解釈としての粗筋ですが、8場の時点で、スコットは自分を取り戻したのでないかなと考えています。もしゼルダが正常な精神を保てていたなら、やり直せたかも知れないと言う二重の悲劇。
こうして纏めると、1幕はかなり急展開ですね。
青春から絶頂期、そして絶望へ行き着いてしまったスコットは、しかし6〜7場に比べると自分の意志を宿した強い表情で、一幕を自ら閉じており、今後の復活に望みがありそうだと思わせるのですが……。
その続きは、また次回。