• 2009年登録記事

 黒い早馬は訃報を運ぶ。
 知らせを受け取ったケマ部族の長カリョは、深く息を吐いた。哀しみの裏に安堵が忍ぶ、長い溜息だった。
 終わった──ようやく終わったのだ。
 頭脳明晰で武勇に優れ明るい息子は、彼の誇りだった。高句麗の王座も、夢ではないと信じていた。だからこそ、その栄光を掴ませるため、良心をも捨てたと言うのに。
 カリョは忘れない。息子が自らを偽物だと言い放った瞬間の昏い瞳を。その時、彼は犯した過ちを知ったのだ。
 だが、止められなかった。
 坂道を転げ落ちる鞠をどうして止められよう。ましてや、突き落としたのは自分だ。
 鞠は転がり落ちるうちに見る間に汚れ、遂に終焉という池に落ち、沈んだ。
 すべてが終わったことに安堵する自分は、結局王父の器でなかったのだ。そして、息子も。
 栄華を誇ったこの家も、息子が行き着いたのと同じ池に沈みつつある。鼻の効く鼠たちが逃げ出した邸宅は驚くほど静かな空気を宿し、カリョは久方ぶりに何物にも邪魔されない時間を手に入れていた。
 今、最後の幕を引くため、カリョは毒の杯を持ち上げ、亡き妻に乾杯した。


何作か書いた花組版「太王四神記」公演SSの中で、実は一番始めにネタ出ししてあったお話。感想がそこまで辿り着いてから、と思っていたら書くのが遅くなりました。
星組版で役者が変われば、(役者自身の解釈も違って)キャラクター印象も変わるかも知れませんので、東京公演が楽しみです。

尚、タイトルはわざとなので、ご了承下さい。

麻生の中には、この日誌に関して不文律があります。
今日はそれを敢えて破った話題をあげようと思ったけれど、約8年ずっと貫いてきたことなので、書いてるうちに無理だ、と思って消してしまいました。
自分のサイトだから、99%好き勝手やってるんですけれど、1%は何か重しを付けておこう、と思うんですよね。
良い事なのか悪い事なのか分からないけれど、自分ルールと言うのは嫌いじゃない麻生です。

ちなみに、破ろうとしてたのは「政治の話を書かない」と言う不文律です。
違うものを想像してた方、残念でしたっ!

まず、一度通して観た後、心から感じたのは「花組太王四神記DVDはカメラワークが良い方だった」と言う事であります。
確かに前回の感想では「ここでこっちを映して欲しい」と言う旨を数回書きましたけれど、それは唯のファン視点であって、映していない正統な理由も分かるものでした。
他方、今回取り上げる銀ちゃんは、バカメラとまでは言わないけれど、もっと面白く、ストレスなく見せる事が出来るはず、とコンテから書き直しさせたくなりました。
要は「人口が少ない舞台であっても、アップを取り続ければ良いわけではない」と言いたい!
(ついでに、TCAの販売物にしては素直にヤス@華形中心に撮ってることに驚きました。確かに「お話の主人公」はヤスなのですが、そこは宝塚。番手重視で大空を中心に映すのが妥当では。逆に、華形ファンは要チェックと言えます)

カメラアングルのせいで演出を駄目にしてる例は、一幕1場B、銀ちゃんのアップを撮るカメラの前にヤスが割り込んでしまうと言うシーン、舞台ではカメラマン役の紫峰が実際にカメラを使い、スクリーンに投影していたため分かり易かったのですが、DVDでは「スクリーンが映ってない」&「舞台上のカメラも映ってない」と言う、酷い状態。これでは、DVDだけ観て銀ちゃんがヤスを叱り飛ばした理由を理解するのは困難です。
スクリーンは、ドラマシティの構造上青年館より外れた位置にあるようなので舞台上と一緒に映せないとしても、舞台上のカメラはもう少し努力すれば映ります。配慮して欲しかったなぁと心から思います。

とは言え、石田先生の演出自体も、舞台観劇時に言及したようにイマイチ。
構成は、改めてDVDで観ると散漫です。例えば5場Bの回想は、2場「あの頃に戻りたいよ」と言う台詞の後にあれば小夏の回想だと飲み込めるのに、間があってから入れているので話が繋がらなくなってしまいます。
洋服から和服に着替えるには幕間芝居が必要だ、と言う事情は分かりますけれど、それなら2場の小夏を和装にして、暗転中に羽織物かなにかで服を変化させるとか、5場Aで回想に繋がるセリフを入れるとか、もっと構成自体変えるとか、何か策があるのでは。
元の脚本がどうなってるのか知りませんが、時系列が初見で理解出来る形になってないと思うのですよ。
舞台で悪く感じた事はDVDでもそのままなんですねぇ。でも、舞台で名演出だったからDVDでもそう見えるとは限らないのが、映像の難しいところ。

ところで、横暴な大スターが、カメラ(客席)と自分の間に入ってしまった脇役を怒鳴り散らす導入は「KEAN」冒頭と共通します。
考えてみれば、キーンと銀ちゃんは、舞台人と映画人だから演技的な思想は全然違うけれど、破天荒で私生活が酷い表現者でそれでも惚れ込んでくれる子分がいると言う点は同じ。冒頭のシーンは、そんなキャラ付けを明確にするのに適当な展開だと言うわけですね。
小説であれば、地の文が使用できるので「銀ちゃんは横暴な男である」と書いて読者にそういう人だと刷り込む事が可能です。しかし舞台は行動で描写しないと伝わらないので、こういう掴みを最初にするのは大事ですよね。
(そう言う意味では、太王四神記では、ホゲ様がもっと優れた武人であることを示すエピソードが欲しかったなぁと思います。自主練習とズルしてる武闘大会だけでは不満)
無論、小説でも、地の文で横暴と言っておいて作中の行動が優しかったら、チグハグな出来になってしまいます。この辺、やはり小説も文章表現だけでなく、言動でキャラを表さなければいけないと強く感じます。
例えば、少女時代好きだった小説に、知将設定のキャラがいました。が、地の文や周囲のキャラから賛美された知略を披露する機会がないまま、お話は完結してしまったのでした……。
そうして魅せ方を気にする眼を持つ自分に、観劇も、物を書く為の肥やしになってるんだな、と少し安心します。

いきなり批判から入りましたが、芝居心のある若手を集めた感のあった公演だけあって、濃い芝居が画面中から溢れ出てます。映像の残念さは此処で散々言ったので打ち切って、一回一幕のペースで、中身についてまた感想を出していきたいなと思います。

(♪デビルマンのテーマで)
 あれは誰だ 誰だ 誰だ
 あれは魔人 魔人王ジャガンだ
 呪いの名前付けられて 全てをなくし戦う男
 エビルデインはいなびかり
 ギガデインは使えない
 ミナデインは仲間なし
 真の姿 貧血だ
 魔人の力 身に付けた ロトの子孫だ
 魔人王ジャガンだ

フォルダを漁って出て来た懐かしいロト紋替え歌。無理なく歌えるので、是非どうぞ(笑)。
「紋章を継ぐ者達へ」は読まなくなって久しいのですが、連載は続いているんですね。某入婿国王が今月登場したとか何だとか風の噂を聞く度に、ぎゃっと思ってますが近辺に連載誌が入荷しません。一応、完結したらどういう流れだったのかは確認したいなぁと思ってます。

最近、遊びたい!と言う魅力を感じるゲームがなくて、気軽に遊べる携帯ゲーム機が主流な時代の影響もあるのかなぁと思う、据え置きゲーマー麻生です。

スクエニ「NEW GAME」謎のカウントダウン
http://www.square-enix.co.jp/0706/
アドレスとカウントダウンの時刻からして、種明かしは7月6日公開なのでしょうけれど、わざわざFLASHムービーで盛り上げ中。しかも、最初は竜しかいなかったところに、今日帰宅してもう一度観たら少年が出て来ましたよ!
まさか、毎日1アイテムずつ絵が増えていって、何の作品か分かる仕掛けなのでしょうか?
「4」と書いてある事から、既存シリーズの4作目と言う推定により、サガシリーズとの説が濃厚でしたが、このキャラは小林智美先生の絵と言うより吉田明彦氏に見えます。
とすると、FF12(FF12RW含)、FFT、FFTA(FFTA2含)に次ぐ、イヴァリース世界4作目……とか? ちょっと無理矢理な解釈ですね。
皆さまはどのように推理されますでしょうか。
これで、「7ーモールモースの騎兵隊ー」みたいに、「4」と言う新作タイトルだと言うオチだったら、意外と面白いと思ってます。