• 2016年登録記事

オートスキップがないことには慣れてきたけれど、スタッフロールをスキップできないことだけは何度も文句を呟きつつ繰り返しプレイ。
一先ず、以下のセーブデータから遡れる範囲で、違う選択肢を選んでみました。

章の始めから

結果、「長篠編」に関しては、色々な展開があっても、プレイヤーの選択肢によって話が変わるのではなく、分裂した信長の霊魂がそれぞれ辿った道程を見る、という構成のように感じました。
といっても、基本的には、地獄に堕ちたり記憶を失ったりというバッドエンドに遭遇し続ける作業なのですが、最終的には信長も光秀も、両者が生き残る道のために試行錯誤を繰り返していたようなものかな、と思います。
結局、前回唖然とした「」で終わるラストが、このルートでは一番良いエンディングだったと解釈して良いのでしょう。つまり、あれは「新しい未来へ続く」という意味の「続」だったのか!

展開によっては、神(天の意志)と更新したり、意識が宇宙空間に行ってしまったり、という自由さは本当に面白いなと思います。

大地が丸かった

なお、結局本作も宮廷陰謀説寄りだったので、その辺は安部龍太郎の「信長燃ゆ」を彷彿とさせられました。

近衛前久であった!

越谷オサム著「いとみち」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
女子高生の相馬いとは、人見知りを治す目的と衣装への憧れから、メイドカフェでアルバイトを始める。ドジを繰り返すいとだったが、店の仲間と過ごす内に成長していく。やがてメイドカフェが閉店の危機を迎えると、いとは大好きな場所と人々を守るため立ち上がり、自分自身を認められるようになっていた。

定番の台詞「お帰りなさいませ、ご主人様」を、訛りのせいで「ごスずんさま」としか言えない主人公いとの他、津軽弁でのやり取りが非常に楽しい作品。
方言はそのまま音で表記されているため、台詞がすべて平仮名ということもあるのですが、これを自分で声に出して読むと非常に楽しく、ニマニマします。その上、いとの上を行く「若い世代に通じない津軽弁」使いである祖母の発言を記号で表すという卑怯な表現方法には、一瞬面食らったあと大笑いしました。

地味なお話だ、と最初は感じたのですが、読み終わって改めて考えるとキャラクターの設定自体はかなり派手で、立っています。特にお店の仲間は個性的です。
けれど、子持ちのメイド長の幸子が抱く、ワーキングマザーならではの店への感謝の気持ちや、いとが好きな三味線を弾かなくなってしまった、思春期の少女らしい理由などはリアルでしたし、それ故に登場人物を応援したくなりました。
善人ばかりでとても優しい世界は、古き良き田舎という幻想なのかもしれないけれど、ピュアで嫌味のない、素敵な作品だと思います。

笑えるだけでなく、いとが父親とぶつかるシーンでは、共感のあまり思わず涙しそうになりました。
私も、言いたいことはあっても巧く相手を納得させられるような表現ができなかったりして、もどかしさの余り泣いたことがあるので、余計彼女に肩入れしたくなったのかも知れません。
年齢的に、親の意見も理解できるので、俯瞰的な視点ではまた違う気持ちも持ったりするのですが、多角的に色々な視点で読めるということは、それだけ良く出来た作品なのだろうと思います。

現在地:死と闇黒の剣・クリア

オズワルド

いつも通り、最後にガッとレベルを上げました。
今回はコインを料理(経験値)に注ぎ込むだけでなく、ウーズ戦を2回繰り返してフォゾンを稼ぎました。コルネリウスの時は、分裂するウーズに手を焼いたけれど、オズワルドは、引き寄せの指輪+ウェイジングヴォイドで楽に対処できたので、良い稼ぎ場でした。

ウーズ戦

ワーグナー戦は、新たな攻撃パターンが追加。竜巻とエレメントを大量に呼び出す攻撃で凍らされて、気付いたら体力0になっていたという、かなり不名誉な初敗北を喰らいました。さすが、因縁の相手だけあって、ワーグナーも本気でしたね。竜の強さを初めて思い知った気がします。
でも、最終的に竜たちはみんな、侭ならない運命で散っていくのが寂しいです。

そんなわけで、城と槍と眠れる姫君を手に入れたオズワルド。
ここで、グウェンドリンの心を守ろうと強がるミリスの可愛さに悶えました。
グウェンドリン編で目覚めた時、ミリスの存在を心強く思ったものだけれど、彼女が古城に来てくれたのは、単に付き人だからでなく、グウェンドリンがミリスたちプーカにとって大切な姫君ベルベットを救っていたからなのですね。正に、情けは人の為ならず。
その後は、「心を自由にする魔法」を解いてからグウェンドリンを起こす話になるのかと思いきや、なんとグウェンドリン誘拐事件が発生。三賢者最後の一人(スカルディ)が頑張るなと思いきや、活躍の期間は短く、あっという間に退場と相成りました。
あれ? ベルドーは死の国で死神に殺され、ウルズールはベリアルの道連れとなったので、黒幕は全員死んだのでは!?
しかしスカルディの話を聞いた感じだと、サイファーがフォゾンを吸収することで、輪廻転生しなくなるそうなので、彼らがこれ以上暗躍しなくても、世界の破滅は訪れてしまうのでしょうか。

眠っているのに移動距離が長いグウェンドリンを追って、最後は炎の国へ。
ここでは、炎の王オニキスが、魔王オーダインより年長という驚愕の事実を知って口が開きっ放しでした。

オニキス

グウェンドリン編で彼から迫られた時は「グウェンドリンさん、モテモテ」なんて悠長に思っていたのですが、娘世代の少女に迫っていたのかと思うと、ちょっと笑えなくなりました。
でも、炎の王が好色心でなく本気でグウェンドリンを好きだった上に、オズワルドを上回るポエマーっぷりを発揮するのを見ている内に、生暖かい笑いに昇華された気がします。

持っていて良かったNew 3DS!
……Wiiは持っているのですが、数年前に本体が見当たらなくなり、ヌンチャクとセンサーバーだけある状態です(苦笑)。

2016.3.4
Newニンテンドー3DSでスーパーファミコンのバーチャルコンソールが遊べるようになりました!
https://topics.nintendo.co.jp/c/article/616a911c-dc26-11e5-b324-063b7ac45a6d.html

喜んでみたけれど、今のところ配信予定ラインナップ内に遊びたいタイトルがないマイナーメジャー志向の麻生です。
RPG派の私としては、スクウェア・エニックス系タイトルも欲しいところ。といっても、元々旧エニックス系は、バーチャルコンソールやゲームアーカイブスに消極的なイメージがあります。DQシリーズなんて贅沢な希望は言わないけれど、「天地創造」をぜひ出して欲しいです。同じクインテット開発の「アクトレイザー」はWiiで配信しているのに、ガイア三部作は外されるというのも不思議な感じがします。

更に、こうなってくるとダウンロードコンテンツにおいてWiiやWiiUといった別ハードとの互換がないことがネックになりますね。
後日対応でも良いから、買ったタイトルがハード移行で無駄にならないようにして欲しいと思います。
同じ理由で、PS4のPS/PS2ゲームアーカイブス対応も、ずっと待っています。

とりあえず欲しいSFCタイトルがなかったので、ニンテンドーアカウント向けのファミコンバーチャルコンソール50%オフセールの方から「ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島(前後編)」でも買っておくかな。

中沢けい著「楽隊のうさぎ」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
中学校に入学した克久は、ブラスバンド部でパーカッションを担当することになった。苛めに遭い心を閉ざしていた克久だったが、次第に音楽の面白さに夢中になり、その瞬間しか作り上げられない一曲を生み出す一体感を経て、1人の自分という存在を捉えられるようになる。

これまで読んだ吹奏楽+部活小説は「スウィングガールズ」「吹部!」と勢いのある作品が多かった印象ですが、本作は理論的。
もっと突き詰めて言うと、これは本当に「小説」なのだろうか? と腑に落ちないまま読み終わりました。お話自体は粗筋の通りなのですが、作品のテーマ性は粗筋とかみ合ってないような気がしたのです。
そう感じた理由は、解説の下記の部分を読んで、少し理解できたように思います。

この一節は主人公克久少年の視点でも、母親の視点でもない、いわば作者が直接顔を出して読者に_語りかけているが、このスタイルを見ておやと思う読者もあるに違いない。(中略)彼女の他の仕事を少しでも知る読者から見れば、この『楽隊のうさぎ』は、文学論的に言えば明らかに一歩退いた手法だと思われるはずだ。

個人的には、まるで解説本やビジネス書を読んでいるような、淡々とした語り口だと感じてしまいましたが、この手法によって、作者は自由に語ることができたのかもしれません。
私の印象としては、色々なエピソードが「出来事」として羅列されていて、起伏がないと思いました。特に、いじめ問題や家族関係といった様々な要素が盛り込まれており、その描写に尺を割いているせいで、肝心の「音楽」を掴んで成長する部分がいつの間にか流されていました。
時間の流れ方も一定でなく、場面転換が唐突で、短期間のことを細かに描写したと思ったら、大きな変化があった筈の時間軸に関して描写が抜け落ちていたりします。人間の意識としては、ある時期の記憶が希薄だということは間々ありますし、克久の心理も母・百合子の心理も非常にリアルなのですが、小説としては少し戸惑わされました。

演奏や練習に関しては、非常に真面目に書かれているので、恐らくブラバン経験者は頷きつつ楽しく読めるのだろうと思います。
特に、最後の全国大会は、「シバの女王ベルキス」の第二楽章〜第四楽章を聞きながら読みたいと思いました。演奏に対する高揚感もあって、このシーンは純粋に音楽小説として惹き込まれます。
また、タイトルに登場する「うさぎ」という小道具によって、克久の本音や、それと逆に本心なのかもよく分からない持て余してしまう気持ちなどが表されていて感心しました。