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前回、何も考えず5場まで感想を上げました。すると、当然次回は6場から書くことになりますよね。
……真っ青になりました!
という事で、いきなりクライマックスです。

【2幕6場 クラブ21】
酒場でジョージを待っていたルディは、デ・ソウルと鉢合わせ、暴行を受ける。

初日に、客席でどう反応すべきかとても困ったシーンです(笑)。
まず茫然とし、次にどういう表情で観るべきか悩んで周囲を伺ったら皆さん平然としていたので、私が過剰に反応しているんだと反省しました。が、後日ファンブログ等を拝見したら、概ね「×××シーン」と言われていたので、普通の感性だったと安心しました。
「Yaw」みたいな耽美シーンは平気なのですが、こういうシーンは……動揺します。
粗筋は、言い繕っても仕方ないので簡素にしました。

さて、肝心のDVD感想。
デソウルの手下2人は、目つきの鋭さがヤクザ者の雰囲気で嵌まっています。特に、鳳樹いちが内ポケットの銃に手をかけたまま、美月悠に顎で指図するのが好きです。しかもその後、ポケットの奥に銃を収め直してから手を離しているのですね。非常に細かいことですが、存在しない小道具をきちんと扱っているのが素敵です。
ところで、前夜のクラブ21ではシカゴトリビューンの記事を取り上げて、ルディを「ポマードテカテカ」と揶揄していました。が、改めて観るとデソウルの髪のテカり具合の方が凄いですよね!

ルディがゲストルームに連れ込まれてからの音楽が好きです。
ここもタンゴ・バンド「アストロリコ」の演奏によるものなのでしょうか? 研ぎ澄まされた空気を内包していると感じました。

ダンスシーンのカメラアングルは、基本的に広範囲を収めていて大満足です。
それにしても、超ハイレグの娘役より、男役がスーツで踊る姿の方にエロスを感じるのが宝塚の面白いところだなぁと思います。

【2幕7場 ダウンタウンの街頭】
ゴミ溜めの中で目覚めたルディは、再び自由の女神に誓う。ここから人生をやり直すことを。

4場の感想で感じた通り、絶望しないルディは、この局面でもまだ希望を抱いて自ら立ち上がることができるのだな、と改めて感じ入ります。

余談ですが、私は東京公演初日に、このシーンについて大阪公演から演出が変わって歌が増えたのだと思い込みました。「アランチャ」と「ボンジョルノ」のリプライズははっきり覚えていたのに対し、間に入るメロディラインは聞き覚えがなかったためです。が、大坂公演を収録したDVDでも歌っているので、私の記憶の問題だと判明しました……(苦笑)。

東京公演までに書き終わると言う希望的観測が、少し現実になりました。

【2幕3場C クラブ21】
もぐり酒場で再会するルディとジョージ。ルディは過去の裏切りを謝罪し、もう一度3人で映画を作りたいと言う。その時、酒場のショーでルディを中傷する新聞記事が紹介され、ルディは激しいショックを受ける。

クラブの歌手が百千糸であることに、DVDで初めて気付きました。「誰がために鐘は鳴る」での軽やかな歌手の印象が鮮やかだった分、こんなムーディな雰囲気も出せるとは意外で、驚きました。
ルディは映画作りの夢を語りますが、公演が進んでいくごとに、彼が映画監督に転身して成功するとはとても思えなくて、どんどん空虚な希望だけが広がっているように感じたのが面白かったです。
大空祐飛という役者自身は、コツコツと積み上げていくクレバーな印象で、実際に演出的なセンスがあると言う話も聞きます。故に役者本人とダブらせると、映画監督になると言う夢に現実味があったのですが……。公演が進んでルディという役が深まるほどに、彼には他の道を歩む術がなくなっていったのかもしれません。

【2幕4場 記者会見場】
本心を曝け出しても記者からは取り合われず、ファンからは映画の登場人物であることを求められる。本名のロドルフォを愛してくれる者はいない──

天羽珠紀が「ヴァレンチノ」でなにを演じていたか思い出そうとすると、私の場合、1幕の占師メロソープではなく、この記者会見場の名もなき記者がまず脳裏に蘇ります。
たった一言の台詞なのに伝わってくる、独特の厭らしさ。取材対象をどう思っているかよく分かるし、彼が書くだろう記事の内容まで想像させます。
続くヘレン・ローズも、こちらは悪意なくルディを傷付け、一層の孤独感を与えてきます。
虚構の「ルドルフ・ヴァレンチノ」としてしか存在を許されない事実を畳み掛ける脚本に、震撼します。
それでも──ルディは絶望していないのですよね。

余談ですが。
ルディとジョージが同じような衣装を着て並ぶと、ジョージの身長の高さと、ルディの頭の小ささに改めて吃驚します。後者は髪型も影響しているかな。

【2幕5場 S&G出版社受付】
ジューンを探し出したジョージは、ルディが会いたがっていることを伝え、新作「シークの息子」の試写会に招待する。

フランソワーズ・スコット(ジューン)を訪ねるジョージですが、受付嬢の応対には疑問が残ります。作者の個人情報を探る相手には、もっと慎重に対処すべきですし、そもそもいつ出社するかなどの情報を漏らしてはいけないと思うのですよ。それとも、個人情報保護法などがなかった時代は、こんなものだったのかしら。
相手を思い遣りながらも本音で話せているジューンとジョージは、男と女であっても本当に良い友人同士だったのだと想います。
ところで、何度も見返している内に突然気付きましたが、ここでジョージに電話番号を教えたことが、10場の展開に繋がるのですね。実に無駄のない脚本です。

宝塚大劇場公演「クラシコ・イタリアーノ/NICE GUY!!」11:00回を観劇。
所用で大坂まで行ったので、初日は逃しましたが、しっかり観て来ました。

一幕がミュージカル「クラシコ・イタリアーノ −最高の男の仕立て方−」。
期待値を越えた出来で大満足しました。観劇後にとても気持ちよくなれる、良い作品です。
とてもオーソドックスで、奇を衒った演出があるわけでなく、割と淡々と進みます。
でもテーマはちゃんと伝わってきて心に残るし、登場人物たちが自分の筋を通していて、他者を一方的に攻撃することがなく、主要人物は作中に人間的成長を遂げ、人間讃歌に溢れている。コメディ部分には思い切り笑って、スーツ姿の男役勢の格好良さに痺れて、職人たちの想いに涙して、ラストはほっこりする……。
それで充分でした。
過去の植田景子先生には「小劇場サイズは佳作、大劇場はイマイチ」という評が付いて回っていましたが、今回は過去の作風を保ったまま、「こういう地味な作品でも大劇場で見せられる」と証明したように思います。

大空祐飛主演作なのに、戦争はなく、人死にがなく、不倫もないと言うだけでも、個人的には凄く嬉しかったですけれどね(笑)。

キャストごとの細かい感想は東京公演になってから書こうと思いますが、甘口辛口でそれぞれ1つだけ。
まず、絶賛したいのはマリオ@北翔海莉。難役をしっかり見せるさすがの技巧。サルヴァトーレとマリオの間に、これまで一緒に過ごして来た時間が確かに感じられ、別れのシーンには泣かされました。ナポリに戻ったサルヴァトーレは、マリオと再会して、また一緒に飲みに行ったりしている筈だと心から願います。
次に、辛口がジャコモ@十輝いりす。引き出しにない役を演っている感がありました。もっとサルヴァトーレを追い詰めるような怖さが欲しかったです。悠未ひろと逆の配役の方が合っていたかも。東京までにもっと大きく、迫り来る恐怖が出てくることを期待しています。

あ、冒頭のレニーのアドリブは「倉岡銀四郎」で「肉喰わねぇか、こら」でした。

二幕がショー・アトラクト「NICE GUY!! −その男、Yによる法則−」。
普通に良いショーなのですが、期待値が高過ぎたせいで、なんとなく肩透かしでした。

前回の「ルナロッサ」が月+中近東というテーマで、全体的に一つの作品になっていたのに対し、あれこれ要素が詰め込まれていて少し散漫な印象も受けました。
「Yearning(プロローグ)」が思ったほどキャッチーでなくて、続く「Young Blood(イケメンオークション)」もコメディさ加減が苦手な雰囲気で盛り上がらないまま観ていたところに、「Yaw(薔薇)」で突然圧倒され、洒落た「Yellow jacket(中詰)」になって楽しくなり、「Yonder(風)」に感動。「Yawp(セクシャル9)」でテンションが最高潮に盛り上がり、ところが大階段前のフィナーレに突入するとまた地味な印象に戻って、デュエットダンスがないままパレードに突入で、なんだか気付いたら終わりになっていた、という感じです。
まだ始まったばかりなので、プロローグとフィナーレはもっと良くなると期待しています。
イケメンオークションだけは、私の好みと懸け離れているので難しいな……。

ショーに対して微妙な印象を抱いた原因の一部は、衣装にあるかも知れません。
「Apasionado!!II」で、藤井先生の衣装センスは私の好みと合わないと感じていたのが、今回で決定付けられました。
男役の魅力を出すショーと銘打つなら、黒燕尾が欲しかったです。

でも、期待値が異常に高くなり過ぎていただけで、思い返してみると普通に良いショーなんですよね。
特に好きなシーンは、「Yaw」と「Yonder」です。
「Yaw」は耽美の世界。伯爵夫人@美穂圭子の高低自在な歌、少女@すみれ乃麗の可愛さと、一瞬だけ観られる軍帽を被った姿の不思議な怖さ、ナイスセクシャルY@大空祐飛から漂う謎のエロオーラ、そして彼等に翻弄され、最後は逆様に張り付けられる逃亡者@凰稀かなめ、とすべての要素に酔いしれました。
ただ、薔薇の花が散る演出はさすがにやりすぎな気がしますよ。
衝撃が強過ぎて上記の4人しか観られなかったので、東京では、棘のメンバーも1人ずつ確認したいところです。
「Yonder」は、コーラスの人数が少ないのに驚くべき声量とハーモニーに圧倒されました。天羽珠紀のソロも、今まで知らなかった高音と素直な響きに、改めて感嘆しました。

なんにせよ、両作品共、東京で再び観られるのを楽しみにしています。

明日、宙組大劇場公演が初日を迎えますね。「歌劇10月号」を購入して、公演の稽古風景を語る座談会を読んだので、もの凄くテンションと期待値が上がっています。
その勢いに乗って、「ヴァレンチノ」感想を一歩前進させることにしましょう。

【2幕2場 ムッシュ・ボーケールのセット】
自分の信念に凝り固まるナターシャは、スタッフと折り合わず、遂に現場を追放される。更に、占いで宣告されていたルディとの破局の兆しが現れ、ナターシャはルディの下を去る。

「ムッシュ・ボーケール」の撮影光景は、東京では爆笑の渦でした。
格好良いのにややオカマ調に演出を付けるシドニー・オルコット監督と、それに合わせて過剰な演技をするビーブ・ ダニエルズが最高でした。ナターシャは「ドタバタ喜劇と変わらない」と演出に文句を付けますが、実際問題、喜劇にしか観えなかったですよ(苦笑)。
さて、大空祐飛という役者はよく「金髪鬘が似合う」と評されますが、この「ムッシュー・ボーケール」における金髪鬘に限っては凄く似合ってないのが面白いです。ルディと役がハマっていないことが分かります。
映画製作は多数の人間で行うプロジェクトなのに、ナターシャはそれを使って「自分だけの世界」に閉じ篭ろうとしているのがすべての過ちだと思います。
ナターシャにスタジオからの退去を求めるラスキーの背後に、男性スタッフが映り込んでます(七生眞希)。彼のナターシャを見つめる眼差しの冷たさにゾッとさせられ、同時に彼女へのスタッフたちの評価を物語っていると感じました。
一方、ルディを不安そうに伺っているスタッフ(風馬翔)からも、この撮影現場の歪な雰囲気が伝わります。
表立って物を言わぬ人々が、現場の空気を作っているこのシーンの芝居は本当に素晴らしいと思います。

【2幕3場A ジョージ・ウルマンのオフィス】
その頃、メトロをクビになったジョージはN.Y.で働いていた。そこにルディから連絡があり、再会を乞われる。

ルディからの電話と分かって直ぐ喜びを表せるジョージに、もう蟠りがないのだな、と分かって嬉しくなります。
さて、このシーンは1幕と異なる演出で、電話を受けるジョージの台詞だけでなく、ルディの声も聞こえています。しかし、ルディの台詞をすべて抜いても殆ど不足なくやりとりが分かるのが面白いです。
そのなくても通じるルディの台詞が何故あるのかといえば、すでに蟠りをなくしたジョージに対し、負い目を感じているルディの雰囲気がここで観客に伝わるからなのでしょうね。

【2幕3場B ジューン・マシスの部屋】
小説家に転身したジューンもN.Y.にいた。ルディを忘れようと思いながら、恋心を消せずに。

このシーンはDVDで観て、非常に感心しました。
自作の一節を読み上げた後、一呼吸分の短い間に、そのシーンをルディでイメージして、心の痛みと淡い喜びを覚え、そんな自分に思わず笑ってしまう……そんな芝居が込められていると感じました。
また、音楽の使い方として、ジューンの歌からクラブの音楽へ続くことで、シーンの切り替わりが滑らかで、且つ地続きの場所にいるのだと暗に感じさせるのが巧みです。

……というわけで、音楽的には続けて次の場に進みたいのですが、今日はここまで。

次の公演までに感想を書き終える予定だったのに、どう考えても間に合わなそうです。
……東京公演までに間に合えば、良いですよね!

【2幕1場A ホワイトリー・ハイツ】
結婚生活を始めたルディとナターシャだったが、「家族」を求めるルディと、ルディと言う俳優で自分の作品を作りたいナターシャの気持ちは擦れ違っていた。

新婚旅行から帰って来たばかりなのに、お互いの結婚観の違いで揉める2人。
ナターシャはルディが求めているものを問い質すけれど、彼女にとってのルディこそ「着飾って連れ歩くペット」だったのではないでしょうか。本当の意味でルディを愛していたとは思えないので、ソロの歌詞には少し違和感があります。
ルディは彼女の才能を認めていたのだから、ビジネスパートナーとしてなら長続きした筈なのに、何故子供も家庭も欲しくないナターシャが結婚を選んでしまったのでしょう。結局、ジューンへの対抗意識でルディを奪いたかっただけな気がして来ました。
それにしても、毎朝6時起床のルディと、11時起床のナターシャ。5時間も起床時間が違うとなると、就寝時間もズレていそうです。

【2幕1場B ホワイトリー・ハイツ】
ナターシャはルディの新作「ムッシュ・ボーケール」をプロデュースする。衣装や小道具に凝って予算を超過していることをラスキーが警告するが、彼女は芸術作品を作ることに傾倒していた。

ラスキーの指摘は、私も凝り性な面があるので、ちょっとドキっとさせられます。
ただ、「ムッシュ・ボーケール」に関しては、娯楽映画を作る意志がないナターシャに作品選択権と現場を任せたラスキーの采配ミスのような気もします。