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明日、宙組大劇場公演が初日を迎えますね。「歌劇10月号」を購入して、公演の稽古風景を語る座談会を読んだので、もの凄くテンションと期待値が上がっています。
その勢いに乗って、「ヴァレンチノ」感想を一歩前進させることにしましょう。

【2幕2場 ムッシュ・ボーケールのセット】
自分の信念に凝り固まるナターシャは、スタッフと折り合わず、遂に現場を追放される。更に、占いで宣告されていたルディとの破局の兆しが現れ、ナターシャはルディの下を去る。

「ムッシュ・ボーケール」の撮影光景は、東京では爆笑の渦でした。
格好良いのにややオカマ調に演出を付けるシドニー・オルコット監督と、それに合わせて過剰な演技をするビーブ・ ダニエルズが最高でした。ナターシャは「ドタバタ喜劇と変わらない」と演出に文句を付けますが、実際問題、喜劇にしか観えなかったですよ(苦笑)。
さて、大空祐飛という役者はよく「金髪鬘が似合う」と評されますが、この「ムッシュー・ボーケール」における金髪鬘に限っては凄く似合ってないのが面白いです。ルディと役がハマっていないことが分かります。
映画製作は多数の人間で行うプロジェクトなのに、ナターシャはそれを使って「自分だけの世界」に閉じ篭ろうとしているのがすべての過ちだと思います。
ナターシャにスタジオからの退去を求めるラスキーの背後に、男性スタッフが映り込んでます(七生眞希)。彼のナターシャを見つめる眼差しの冷たさにゾッとさせられ、同時に彼女へのスタッフたちの評価を物語っていると感じました。
一方、ルディを不安そうに伺っているスタッフ(風馬翔)からも、この撮影現場の歪な雰囲気が伝わります。
表立って物を言わぬ人々が、現場の空気を作っているこのシーンの芝居は本当に素晴らしいと思います。

【2幕3場A ジョージ・ウルマンのオフィス】
その頃、メトロをクビになったジョージはN.Y.で働いていた。そこにルディから連絡があり、再会を乞われる。

ルディからの電話と分かって直ぐ喜びを表せるジョージに、もう蟠りがないのだな、と分かって嬉しくなります。
さて、このシーンは1幕と異なる演出で、電話を受けるジョージの台詞だけでなく、ルディの声も聞こえています。しかし、ルディの台詞をすべて抜いても殆ど不足なくやりとりが分かるのが面白いです。
そのなくても通じるルディの台詞が何故あるのかといえば、すでに蟠りをなくしたジョージに対し、負い目を感じているルディの雰囲気がここで観客に伝わるからなのでしょうね。

【2幕3場B ジューン・マシスの部屋】
小説家に転身したジューンもN.Y.にいた。ルディを忘れようと思いながら、恋心を消せずに。

このシーンはDVDで観て、非常に感心しました。
自作の一節を読み上げた後、一呼吸分の短い間に、そのシーンをルディでイメージして、心の痛みと淡い喜びを覚え、そんな自分に思わず笑ってしまう……そんな芝居が込められていると感じました。
また、音楽の使い方として、ジューンの歌からクラブの音楽へ続くことで、シーンの切り替わりが滑らかで、且つ地続きの場所にいるのだと暗に感じさせるのが巧みです。

……というわけで、音楽的には続けて次の場に進みたいのですが、今日はここまで。

次の公演までに感想を書き終える予定だったのに、どう考えても間に合わなそうです。
……東京公演までに間に合えば、良いですよね!

【2幕1場A ホワイトリー・ハイツ】
結婚生活を始めたルディとナターシャだったが、「家族」を求めるルディと、ルディと言う俳優で自分の作品を作りたいナターシャの気持ちは擦れ違っていた。

新婚旅行から帰って来たばかりなのに、お互いの結婚観の違いで揉める2人。
ナターシャはルディが求めているものを問い質すけれど、彼女にとってのルディこそ「着飾って連れ歩くペット」だったのではないでしょうか。本当の意味でルディを愛していたとは思えないので、ソロの歌詞には少し違和感があります。
ルディは彼女の才能を認めていたのだから、ビジネスパートナーとしてなら長続きした筈なのに、何故子供も家庭も欲しくないナターシャが結婚を選んでしまったのでしょう。結局、ジューンへの対抗意識でルディを奪いたかっただけな気がして来ました。
それにしても、毎朝6時起床のルディと、11時起床のナターシャ。5時間も起床時間が違うとなると、就寝時間もズレていそうです。

【2幕1場B ホワイトリー・ハイツ】
ナターシャはルディの新作「ムッシュ・ボーケール」をプロデュースする。衣装や小道具に凝って予算を超過していることをラスキーが警告するが、彼女は芸術作品を作ることに傾倒していた。

ラスキーの指摘は、私も凝り性な面があるので、ちょっとドキっとさせられます。
ただ、「ムッシュ・ボーケール」に関しては、娯楽映画を作る意志がないナターシャに作品選択権と現場を任せたラスキーの采配ミスのような気もします。

1幕ラストまで。

【1幕11場C シーク・オブ・アラビア】
ルディはジューンの新作「シーク」でアラビアの酋長を演じ、好評を博す。

このシーンは秘かに女装ファンが増えているのですが、全体的に引きの映像なので少し確認し難いのが残念。いつもはDVD映像に対して「もっと引いて撮って欲しい」と言っておきながら勝手ですけれど。
映画「シーク」での相手役アグネスは、ルディと並ぶと人形のように小さくて可愛いです。少女と言うより、子供みたいかなぁと思いますけれどね。

【1幕12場 血と砂】
続いて「血と砂」の撮影に入るが、ルディとナターシャの結婚を知ったジューンは姿を消してしまう。ナターシャも、今後はジューンに脚本を書かせないと宣言する。

ルディを挟んで並び立つ、純白のジューン(カルメン)と漆黒のナターシャ(ドンニャ・ソル)。ゾクゾクする構図です。
東京公演では、ファンのコーラス音量がかなり強かったのですが、DVDは弱めに調整されているようです。3人の台詞が聞き取りやすくなっているほか、コーラスの「独り占めしたい、私たちのルディ」と言うフレーズが囁きのように聞こえるて、恐怖を煽るのが良い配分になっています。
去っていくジューンを引き留めようとするルディは、この時点で、自分が選択を間違えたことに気付いているのでは。
2人の才能ある女性に翻弄された挙げ句、最終的には2人共を拒絶しているように見える振り付けで、この時のルディの心境を色々と想像させられます。
結局のところ、ジューンが青年ルディ(ロドルフォ)から作り上げた「ラテンラヴァー」ルドルフ、そしてナターシャはそのルドルフから更に三次創作しようとしているわけで、どちらもルディから見れば本当の自分でないキャラクターを押し付けようとしていると感じる側面があったのかも知れません。

5回目ですが、なかなか先に進まないので、今回は軽めにまとめます。

【1幕10場 グロウマンズ・チャイニーズ・シアター前】
「椿姫」のワールドプレミアを中継するラジオで、ナターシャはルディとの婚約を宣言する。

ファン集団の中に紛れ込んだ若手男役たちの女装が可愛いシーン。舞台では押し出しの良い女装組に注目していましたが、DVDで全体を見ると、日頃お淑やかな娘役たちが、女装組に合わせた思い切った振り付けで踊っていることに少しドキドキします。

DJジョニー・マンデルの解説で、映画俳優と言っても、ルディはあくまで「アイドル」扱いであることが分かります。
実在のナジモヴァは、同性にも人気がある演技派女優だったらしいです。もしかすると、「本物の俳優」と共演したことで、偶像でしかない自分を思い知ったのだろうか、と考えさせられます。だから、ナジモヴァのデザイナーであるナターシャを信頼していったのかもしれませんね。
ただ、彼女を全面的に肯定しているのかと思いきや、ナターシャの「ルディは私のインスピレーション」発言に複雑な表情を浮かべたり、婚約宣言も押し止めようとしてるのが気になります。愛情を感じている訳ではなかったのかも……?

【1幕11場A ジョージ・ウルマンのオフィス】
ルディはナターシャに薦められるまま、パラマウント映画に移籍する。この事件により、ジョージはメトロ映画を解雇される。

再び、電話のやり取り。
復唱することで、舞台上に存在しない相手の台詞を観客に伝えるのは基本的な手法ですが、実に自然な演技になっています。また、横で聞いているアリスの演技がジョージの動揺に合わせて巧く反応するので、短いのに何度見直しても感心するところばかりのシーンです。

【1幕11場B ラスキーのオフィス】
パラマウント映画の副社長ラスキーは、ジューンに脚本を書くよう迫る。

ルディの売り出し方を見れば、ラスキーが愛情を持って彼を使おうとしてる訳でないのは直ぐ分かります。ジューンの横顔が固く強張っているのは、自分が愛ゆえに作ったキャラクターを、商売目的だけで使われることへの嫌悪でしょうか。
ちなみに、ジューンはフリーだと言われていますが、史実ではメトロ・ピクチャーズの重役だったのですね。当然、「シーク」には関わってないようです。
個人的には、このシーンでのみ確認出来るワンピースの袖が可愛いなぁと思います。この舞台は、主要女性陣の衣装がお洒落で良いですね。

今回は、ナジモヴァ&ナターシャ語りに終始しています。

【1幕8場 椿姫のセット】
「椿姫」の撮影中、ルディに母親の死を伝える電報が届く。傷心のルディを、共演女優ナジモヴァの専任デザイナー、ナターシャが「母親の魂に会わせる」と誘う。

開幕から40分近く経っていますが、ここで2人が初登場。
まずは、ロシア人女優のナジモヴァ。2009年「逆転裁判」以降の純矢ちとせが演じた役の中で、一番好きです。元々やや大袈裟な台詞回しで「大芝居」気味の持ち味が、ロシア訛りとサイレント映画の大女優としての風格を出すのに一役買っていました。脚本上のキャラクターとしても、結構美味しいですよね。
そして、ナターシャ。もっと女装風味になるかと思いきや、綺麗でした。このシーンのナターシャの服が格好良くて、好みです。上着を脱いで、インナーがどうなってるのか見せて欲しかったなぁ。
DVDを見ると、この頃から一方的にジューンを敵視してるんですね。ジューンがナジモヴァに挨拶すると、顔を会わせたくないように去るのに、やり取りはじっと観察しているところなど、細かい芝居が興味深かったです。

この作品における「ナターシャの才能」については、観劇中に捉え方が何度も変わりました。
最初は、ルディが感じた通り「天才」なのだと思っていました。しかし何度も見直す内に、実際は違う気がしてきました。
ナジモヴァのドレスは着付け途中と仕上がりに大差がないし、この後の「シーク」「血と砂」の衣装はもっさり気味。舞台では遠目で綺麗だと思ったアルマンの衣装も、DVDで細部を見ると刺繍がゴテゴテしていて、悪趣味の一歩手前なんですよね。
セットに当てる照明はナターシャが指定した色の方が断然綺麗なので、色彩感覚が優れていたのは間違いないのですが。

この作品はフィクションですが、史実においてナジモヴァは同性愛者だったと言われています。
それを知って観ていると、この舞台でもナターシャはナジモヴァの愛人なのでは……と感じました。大女優が気に入っている愛人だから、デザインを任されているし、周りからも賞賛されているのかな、と。
最大の肝は、ルディが、ナジモヴァを「ナジン婆さん」と呼んで怒らせた瞬間。ナターシャが大笑いすると、途端にナジモヴァも機嫌を直します。
日頃クールな愛人が声を上げて笑う姿を見られたから、ルディを気に入ったように思うのですが、穿ち過ぎでしょうか。

【1幕9場 ナターシャ・ラムボアの家】
ナターシャが紹介した占い師メロソープはルディの母の霊と交信し、「女が母親の代わりを果たす」と予言する。ルディはナターシャの誘惑を拒めず、一夜を過ごす。

粗筋で、メロソープの占いをどうまとめるか悩みました。ルディ視点で物語を纏めた時に、ナターシャが聞いた占いの結果は彼の耳に入っていない&影響していないと思いましたので、このようにしてみました。
……しかしこの予言を採用すると、ジューンは結局、最後まで「お母さん」ポジションだったと言うことになりますね(苦笑)。
2011年版花組「ファントム」では「母親の愛と、恋人の愛は違う」と感じたのですが。もっとも、ルディが欲していたのは「家族」なので、「女(妻)が母親の代わりに家族になる」と読み取れば良いのかな。
ルディ自身は占いを信じていなかったと思いますけれど、助言としては効いていたのだと思います。

メロソープ自身には悪意も善意もないと思うのですが、声に毒がある役者なので、数々の占いが指す物を色々考えさせられます。
DVDの収録回は、占いの途中に骨が弾ける演出が巧く働かず、どういう仕掛けか確認したかったのでちょっと残念。メロソープが盆を叩いて崩していたのでしょうか。

ルディ、ナターシャ等は前場から衣装を変えて登場。
ルディとナジモヴァは前場の衣装は「舞台衣装」なので着替えて当然として、ナターシャも着替えている辺り、美意識の強さを感じます。
この公演は頻繁に衣装替えがあって、楽しいですね。

アラバマ生まれのアメリカ娘ウィニフレッド・オショーネシー、と言う正体を話すことでルディの心を掴んだナターシャ。
彼女は恐らく、前場で「ロドルフォ・グリエルミ」の名を聞き、ルディが芸名であることに気付いたのだとは思います。それで、自分と同じ(本名の自分を脱する為に名前を変えている)と思ったのが、大間違いだったわけですが……。

それにしても、メトロ所属のナジモヴァの専属デザイナーが、パラマウントの副社長と親しいのは何故でしょうか。
ジョージもナターシャとパラマウント社の繋がりを知っていたようですし、元はパラマウントで働いていて、後からナジモヴァの専属になったのでしょうか。