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町田康著「スピンク日記」

スタンダードプードル犬の「スピンク」が、小説家の主人・ポチや美徴さん、兄弟犬と過ごす日々を語る、犬エッセイ。

本人視点では「主人と対等な付き合いをしている犬」であるスピンクの語り口が、なんとも面白いです。
異様に人間社会に通じている部分もあれば、犬ならではの価値観や視点を組み込んでくる部分もあって、全体的におかしみを感じます。各エピソードは、可笑しいのか悲しいのか辛いのか楽しいのか、境界が曖昧なところがあり、それも、少し話のとっ散らかったスピンクの話の味だと思います。
一編は短く、連続した話は何回かに分けて語っています。しかもそれが、自宅に蜂が出たとか、暖房機器を買った、という本当に些細な内容のことが多い割に、引き延ばしているという印象もなく付き合えました。

作中にはカラー写真が多数掲載されており、愛嬌のあるスピンクとキューティの姿を、文字だけでなく確認できます。
ただ、それほどページ数のない文庫にしては高額な理由は、ここにありそうです。

しかし、町田康氏が飼い犬になりきって、自分のことを「前世は犬」だとか書いているのだと思うと、読んでいて思わずニヤニヤ笑いが浮かびました。

森まゆみ著「いで湯暮らし」

作者名も、谷中・根津・千駄木の地域雑誌「谷根千」も知らず、「旅エッセイ」という裏表紙の説明だけで手にした本。

少々、予想外の内容でした。
旅した内容が問題ではなく、その土地に住む、ということを問う手記です。
本作は改題されており、「暮らし」シリーズという文庫シリーズに組み込んだため現題名になったそうですが、単行本時の題名「プライド・オブ・プレイス」の方が本質を突いていると思います。
正直なところ、読み進めるほどに面白くないと感じて困惑しました。著者の語りたいことは理解できるし、ある程度共感もするけれど、根本的な価値観が違う。それに尽きると思います。でも個人的に、こういう方が積極的に発信していることには安心します。
時折挿入される、息子たちのエピソードは面白かったです。

小路幸也著「小説家の姉と」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
大学生の朗人は、五歳上で小説家の姉から頼まれて二人暮らしを始めた。やがて姉、高校時代の事件を契機に疎遠だった幼馴染み、恋人と過ごすようになり、姉と幼馴染みが結婚を前提に付き合っていたことを知る。

淡々とした日常と観察が続く、さらさらと読めるお話。
小説家が、小説家を身内に持つ人間の視点を装って小説家を語る、という要素が面白いところだと思います。

主人公を始めほぼすべての登場人物が、一歩引いた、俯瞰の視点で物事を見ているように感じます。そのため、主観で物事を断じ、他人を振り回したりする人物がいません。
とても大人で健全な展開で好感を抱きましたが、お話としては起伏がないと言えます。
猫の脱走や母の入院など、大きな出来事もあるのに、読み終わった後は「これという事件は起きないお話」という印象だけが残りました。
クライマックスになると思って読んでいた、姉と幼馴染み・千葉の交際が明らかにされるシーンも、実際に訪れてみると比較的淡々としたものでした。一足飛びに結婚という単語が出て来る点は驚かされたけれど、交際自体は朗人たちも勘付いていたから、動揺する時期は過ぎていて、報告されて、受け入れるという儀式を経ただけでした。
この起伏のなさが、「普通」の生活感かもしれません。
作品の中の言葉を使うと、そんな普通の生活の中に「種を蒔いた」お話ということで、地味なお話なのに最後まで飽きずに読まされました。

朝井まかて著「すかたん」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
夫が急死して婚家を出され、一人慣れない大坂で暮らす知里は、青物問屋の若旦那に噛み付いた縁で、お家さんの上女中として働くことになった。“すかたん”な若旦那の思いがけない気遣いや青物への情熱に触れるうち、知里の中に若旦那を支えたい気持ちが生まれるも、互いに想いを口にせず意地を張る性格の二人は、拗れてしまう。やがて江戸へ帰る決意をした知里に対し、若旦那は初めての競りを成功させた後、雛壇から大坂の青物の口上を述べ「帰るな」と呼び掛ける。

実にエンターテイメントな作品で面白かったです。
最初は知里の状況が追い詰められていて、少し息が詰まる感があったのですが、青物問屋・河内屋で働き始めてからは、生来の負けん気と明るさが出て、テンポが良く軽やかに読み進められます。

要所で登場する食べ物が、巧い具合にお話を彩っています。
主人公自身は女中なので、青物問屋の商品自体にはさほど触れないものの、日々の食事の描写を読んでいると、きちんとした食事をしたくなりました。

ただ、主人公のどこに前夫・数馬や若旦那が惹かれたのか、ちょっと疑問が残ります。もちろんいい子なのですが、それほど魅力があるようにも感じません。
序盤は大坂を見下しているような感じの悪い部分があるし、女中仕事に対しても自分の気持ちが優先で不誠実に感じるところがありました。もちろん、次第に大坂に馴染んで好きになっていく、お家さんの厳しさも理解して真面目に取り組むようになる、という展開なので、序盤が悪い状態であることは構わないのですが、好かれるならば、知里の姿勢が改善されて以降であって欲しかったです。

そんな不満はありつつも、全体的には生き生きしたキャラクター揃いでした。
悪役の伊丹屋が、嫌な男ではあるのだけれど、散らばった小銀粒を畳の縁の間から搔きだすところで、なんだか急に憎めなく感じたのが印象的でした。

村上龍著「希望の国のエクソダス」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
パキスタンに日本人の少年兵がいたニュースが列島を駆け巡ったその年、全国の中学校で集団不登校が始まった。学校での教育を否定した中学生たちは、ネットビジネスを開始して巨額の金を入手し、政界や経済界を脅かす。やがて彼らは、独自通貨の発行、北海道への集団移住などを経て「希望のない国」日本を捨てて理想の国を作る。

中学生たちの反乱と、日本人の性質、政治・経済への批判で綴られた長編。
面白かったです。TwitterやLINEといったツールはもちろん、各種動画サイトがない時代に書かれた近未来小説なので、現代と照らし合わせるとまた話が変わるなと思う箇所もありますが、同時に今読んでも先見の明があると唸る部分もあり、その辺は小説の妙だと思います。
主人公の雑誌記者・関口は、これという活躍もしないのですが、大人を「分かり合えない」ものとして切り捨てる中学生たちに対して、ただ「聞く」だけの関口だからこそ、曖昧な交流を続けることができたのかなとも思います。

この作品の特に興味深い点は、中学生たちを正義として書いていないことです。
確かに彼らの快進撃は爽快だけれど、関口が指摘しているように社会通念を無視しており、善悪の境が曖昧です。それゆえ、勢力を広げる様に気味の悪さも感じます。なにより、革命を成功させた後のポンちゃんたちが格別幸せそうには見えない、という点です。彼らは単に戦って生き延びただけといっても、そこに喜びがないのは異様に感じます。
彼らに「勝った!」というカタルシスがないため、最後は少し締まらない印象を受けました。それは連載物の弱みかと思いましたが、わざと曖昧にして読者に評価を委ねているのかもしれません。

なお、作者は後書きで、この作品を書いた切っ掛けを下記のように語っています。

「龍声感冒」というわたしの読者が作るインターネットサイトの掲示板で、今すぐにでもできる教育改革の方法は?という質問をした。(中略)
わたしが用意した答えは、今すぐに数十万人を越える集団不登校が起こること、というものだった。そんな答えはおかしいという議論が掲示板の内部で起こり、収拾がつかなくなった。

労働者のストライキは労使交渉で有効な一打です。それを学校にあてはめれば、確かに不登校とは学生のストライキ行為でしょう。
しかし、不登校を行使しながら、作中の中学生はなにも要求しませんでした。不登校で得た時間を、自分たちで自由に使っただけです。そして、最終的には日本から事実上脱出してしまいました。
そこから考えると、作中においても教育改革は果たされなかったのでは、と読み終わったいま悩んでいます。