• カテゴリー 『 読書感想 』 の記事

檀一雄著「檀流クッキング」

92種の料理を紹介する短編集。
材料や調理法は書いてあるけれど、「あれば結構だが、なければないで良い」とあったり、調味料に関しては細かい分量が書いておらず、当人の好きなように味をつければ良いというスタンスなので、レシピ本として使うには上級テクニックが必要です。
また、写真等はなく、ただ文章だけなので、語られている料理そのものを知らないと完成像がイメージし難いところもありました。
しかし軽妙な語り口が魅力的。自らが何度も作って習得した料理法を書いているので、とても自然で面白かったです。
私も自分の料理の分量はかなりいい加減で、人に作りかたを聞かれると困るのですが、その辺の「常に同じではない」という部分こそが、家庭の味ですよね。この本では簡単なものから凝ったものまで様々な料理が語られるけれど、テーマとしては、家庭で料理を作れ、という檀先生のメッセージが込められていると感じました。

吉田篤弘著「それからはスープのことばかり考えて暮らした」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
引っ越し先の町で、驚くほど美味いサンドイッチ店に出逢い、その店で働くことになった大里は、新作メニューのスープ作りを任される。一方、古い映画に出演する端役女優を追って映画館を巡る内に、映画館で頻繁に出逢う老女から「名なしのスープ」の作りかたを教えられる。やがて、周囲の人々との関係を折り込みながら完成した自分のスープが仕上がった。

美味しいサンドイッチとスープが食べたくなる物語。
そのため、巻末に「名なしのスープのつくり方」という扉があって惹き付けられましたが、ページをめくって拍子抜けしました。ちゃんとしたレシピを載せて欲しかったです。
主人公がオーリィ君と呼ばれているせいか、舞台は日本なのに、どことなくファンタジックな展開が受け入れやすかったように思います。

最後、突然終わってしまったように感じて、ここまで歩んできた世界が断ち切られた気がしました。もう一度読み直したら、唐突感は減ったけれど、「スープを飲みたい」という台詞をどう受け取ったら良いのかわかりません。あおいさんがオーリィ君の恋心を知ったことで、新しい関係が始まるということを示唆しているのでしょうか。

オーリィ君は茫洋とした男なので、私と気が合わなかったけれど、大家のマダムやリツ少年はなかなか面白いキャラクターでした。また、オーリィ君が自分であおいさんの正体に気付いた点も、少し見直しました。といっても、あおいさんは最初から最後まで自分のことは語らないので、ほんとうにあおいさんなのか不明ですよね。そこが味わいで、作中に作られるスープのようにほんわかした作品だなと思います。
私好みのテンポではなかったけれど、のんびりとできる本でした。

三浦哲郎著「忍ぶ川」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
作家を志す学生の私は、小料理屋の女中・志乃と出会う。私は兄が失踪したこと、志乃は色町で育ったこと等、複雑な家庭環境を打ち明け合う内に打ち解け、私は志乃にプロポーズする。やがて、家も父も失い一家離散した志乃を連れて、私は郷里へ戻り祝言を挙げた。翌日、新婚旅行へ向かう電車の窓から私の実家を見た志乃は自分の家が見えると喜んだ。

表題作含む7作を収録。その内の5作「忍ぶ川」「初夜」「帰郷」「恥の譜」「幻燈書集」は関連作。
「忍ぶ川」は、主人公たちに重苦しい設定はありつつも、若者特有の明るさ、未来への希望が漂っています。
淡々としたお話ながら、志乃がとにかく愛らしい娘なので、彼女を愛する主人公の気持ちに寄り添えます。それ故、ラストシーンで、自分の家(帰る場所)を手に入れた志乃の喜びを感じ取ったときが、非常に気持ちよかったです。
名作だと思いました。
「初夜」は、「忍ぶ川」から連続した時間軸のお話だったので、少し驚きました。内容は、血を否定していた主人公が子供を望むようになる救済の物語なので、続編として素直に読めました。
しかし「帰郷」以降の話は主人公達から若さ(明るさ)が失われ、設定の暗さがどんどん比重を増します。十分読ませるお話ですし、考えさせられるけれど、設定の重苦しさがそのまま伸し掛かってくるため、楽しくはありません。
また、不幸自慢も鼻につく気がします。せめて主人公が真面目に働くとか、もう少し努力の人なら清貧と言えるのですが。
短編を読み進めるほどに、「忍ぶ川」読了後の清涼感がどんどん失われていくのが残念でした。

「帰郷」の後に収録されている「團欒」も、最初は“私と志乃”の物語の一つかと勘違いしたくらい、似たような設定の主人公と妻が登場する私小説になっています。
しかし夫婦の関係性が異なるので、違和感がありました。“私と志乃”の純愛も、未来にはこうなるという昏い暗喩なのでしょうか。

最後に収録された「驢馬」はガラリと雰囲気の違う、満州留学生の話です。
戦中の人間模様に鬱々とさせられ、訴えかけるものが強くて、重苦しくも胸に響く作品でした。

南伸坊著、南文子写真「本人の人々」

雑誌「ダカーポ」の連載「本人だもの」をまとめた一冊。
「ヒトの身になって考えてみよう」と思った著者が、「本人術」と名付けた顔真似で、実際にその人物になってみて文章を書くという、かなり揶揄った本ですが、面白いです。

どの人物も、どことなく似ているので唸ります。
鳥越俊太郎氏、猪瀬直樹氏あたりはベースが元々似ているのかな?と思ったけれど、チリ人妻アニータや瀬戸内寂聴氏など、性別が違っても似ていると思えます。

南伸坊による宮崎駿

ポーズや角度などの写りかたも工夫しているのでしょうけれど、相当、相手を観察しているのでしょうね。
文章も、軽く毒が含まれているけれど、他人からすれば「その人物が言いそう」と思える内容が多いです。特に、叶美香は、本人が過去に仰有った発言を持ってきたのではないかと思うくらい傑作でした。
正直、GACKTなんかは、写真は表情しか似てないのですけれど、ああ成程と思ってしまうのが面白いです。

いわゆる「時の人」が多いので、何人か元の人物を思い出せない人もいましたが、大いに笑わせてもらいました。

平松洋子著「野蛮な読書」

次に読む本が見当たらなくなったら、書評を読むのが良い、と思って本書を選択。
冒頭から、単に本の感想を綴るのではない、独自の世界観の広がりに驚かされ、同時に惹き込まれて行きました。
惹き込まれた理由には、文章が達者なことがあると思います。
これだけ書けたら、楽しいだろうなと羨ましく感じるくらいです。少し筆が走りすぎていると見る向きもありそうですが、経験と知識の上に書かれているので、私は気になりませんでした。

野蛮な読書という題が絶妙です。実際、凄まじい雑食具合です。
私は読むジャンルに偏りがあるので、この読書量には圧倒されました。幅が広すぎて、後半は少し胃もたれのような感覚も味わいました。
読んでいて「胃もたれ」とか「食あたり」という表現が相応しいと思ってしまうのは、なんとなく食エッセイ風だったからです。筆者にとって、読むことと食べることは、どちらもインプットする行為という意味で、同じことなのかもしれない、と思いました。