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角田光代著「三月の招待状」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
コラムニストの充留は、大学時代の友人夫婦の離婚パーティで、大学時代の憧れの男と再会する。しかし彼は共通の友人である、退屈な人妻の麻美と付き合い始める。いつまでも過去の人間関係に心を残し、叶わなかった恋に執着する自分を振り切るため、同棲相手との結婚に踏み切る。

本の感想と直接関係ありませんが、冒頭、蒲生充留(がもうみつる)という名前で引っ掛かりました。
充留は男名だと感じたのです。美鶴という字面なら、女性だなと思うけれど、あえて充留と書いている辺りは、誤解を招こうとしているように感じます。
でも同棲しているらしい相手が「重春」だから、たぶん女性なのだろうと推測しつつ読み始めて、離婚式に来ていく洋服案に「ドレス」という単語が出てきたところで、ようやく女性だと納得して安心したのでした。
私は、文学作品やミスリード目的の場合を覗けば、小説には一定の「わかりやすさ」が重要だと考えているので、ここで少し取っ付き難さは感じました。

同級生5人のうち、4人のキャラクターの視点に交代しつつ時間軸が進んでいく構成。
心理描写が繊細で、一々納得させられます。構築済みの人間関係に関しては理解できない部分もあったけれど、それもまた現実には良くあることです。非常にリアリティがあって、でも、そうであるがゆえに5人の誰にも魅力は感じませんでした。
宇多男の視点がないのは、良かったと思います。

個人的には、麻美が終盤に掴む「私たちって本来、圧倒的に暇なの」だという解釈が面白かったです。

ジェイムズ・ヒルトン著 白石朗訳「チップス先生、さようなら」

「古き良き」という形容詞で表現される、保守的で真面目な老教師の回想話。
先に映画のタイトルとして知っていましたが、予想外の物語展開でした。若い娘との恋愛や戦時中の苦労も語られるものの、回想のためか、チップス先生の性格ゆえか、浮き足立つことはなく全体的に粛々とした調子で進みます。
とても面白いわけではないけれど、良書を読んだという満足感のある一冊でした。

なお、新訳だけあって、文章自体は読みやすかったですが、作中のジョークはまったくピンと来ませんでした。英語とラテン語と分からないからだ、と思っておきます。

パット・マガー著 中野圭ニ訳「被害者を捜せ!」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
海兵隊員のピートは、僚友が受け取った荷物の詰め物になっていた新聞で、入隊前に働いていた「家事改善協会」の代表が、役員を殺害して捕まったことを知る。しかし肝心の被害者名は記事が千切れてわからない。隊員たちはピートから家善協の十人の役員の人となりや仕事内容、出来事を聞き、誰が殺されたのかを当てる賭けを始める。

犯人と殺害方法は分かっているのに、殺害された相手がわからない、被害者を探すミステリー。
……と聞いた時点で「え!?」と惹き付けられました。正直、発想の勝利としか言いようがない作品です。

ピートの話は、家事改善協会立ち上げから四年間の間、役員たちの間でどんな揉め事があったか、時系列で事細かに語られ、隊員たちの賭けと推理は最後にまとまっています。
物語として読みつつも、この中の誰かが殺されたはず、と想像させられて、家善協のゴタゴタがより面白く迫ってくる気がしました。
結末自体は少し拍子抜けというか、結局普通の推理もので終わった気がします。でも、「犯人以外のものを推理するミステリー」の先駆者として、特筆すべき作品なのは間違いないでしょう。
(本作のオリジナル版発行は1946年)

役員たちは、ピートがいう通り“誰が犠牲者だとしてもたいして驚”くに値しない曲者揃い。でも非常に「こういう人、いるな!」と思わせる人物造形です。いや、自分自身の中に似た要素を見出だすところもあり、「こういう振る舞いは相手に不快感を抱かせるから気を付けよう」と我が身を正す気持ちにもさせられました。

連続して、人格破綻者が登場する下記2作品を読んだのですが、感想は真逆になりました。

西村賢太著「小銭をかぞえる」

「焼却炉行き赤ん坊」「小銭をかぞえる」の中編私小説2作。
主人公の性格の悪さにイライラするのに、先へ先へと読みたくなる作品でした。男も女も碌な人間でないけれど、確かに存在するリアルさを感じるのは、自己愛で言い訳することなく、真っ正面からクズっぷりを曝け出しているせいでしょう。
文章力が高い上、非常に熱量があるので、まったく理解できない主人公ながら、嫌悪しつつもその感情に飲み込まれていくのです。
下衆を描いた私小説なのに、極めて面白いという、初めての感想を抱きました。

町田康氏の解説は、「自宅の本棚を書店の一角に再現する、という企画」に基づいて物を書くという行為と西村作品の分析という内容でしたが、企画自体に対する話の部分が面白くて、興味が湧きました。

ねじめ正一著「長嶋少年」

長嶋茂雄を崇拝する野球少年の物語。
主人公が短絡的なのは、子供だからという理由で納得できます。しかしその母親が、母子家庭なのに碌に働かず姉に寄生しつつ、育児放棄しているくせに、子供が怪我をすると相手を強請るという人間で、あまりに不愉快で、読んでいて何度か投げ出したくなりました。
少年の心の機微の描写は秀逸で、大きな事件はなくても毎日必死で冒険に満ちた日常には惹き込まれました。

解説は又吉直樹。素直で気持ちのいい、好感の持てる文章で、本作で抱いた嫌悪感が少し和らぎました。

スーザン・イーリア・マクニール著 圷香織訳「チャーチル閣下の秘書」

【あらすじ】
第二次世界大戦下、数学者のマギーは首相のタイピストに採用され、首相官邸に通うようになる。ある日、交通事故で亡くなった筈の父親が生きていることを知ったマギーは、休暇に父を捜し始め、ブレッチリー・パークに辿り着く。だが同日、マギーに変装したIRAの工作員が首相官邸に侵入していた——

当初、思わせ振りな展開がしばらく続き、1/3くらい読み進めて「父親が生きているらしい」と分かってからようやく物語が動き出した感じがしました。
それでも、父親探しだけに没頭するのでなく、仕事や友人達との付き合いがまず優先されるので、いつになったら話が進むんだ、とヤキモキしました。でも、最後まで読むと、この構成に納得できた気がします。
お話は予想外の展開に転がって行くので面白かったのですが、テロとの戦いがメインで、死傷者も結構出るだけに、痛快といってしまっていいか悩みます。
表紙からは、もっと軽い作風に見えたので、ややチグハグ感もありました。

ロンドン空爆など、第二次大戦下のイギリスの状況が描写されています。
首相官邸(ナンバーテン)の在り方は、さすがに取材に基づいているので臨場感がありますし、この時代、ナチスとIRA(アイルランド共和軍)の二勢力が繋がっていたとは知らず、勉強にもなりました。
そして国際問題を扱いながらも、配給食材の中からでも記念日にはごちそうを作ったり、おしゃれに気を配ったりする女性ならではの在り方がユニークでした。

キャラクターは多種多様ですが、まず光っているのがアメリカ育ちの主人公マギー。
自分なら秘書官が勤まると自負していて、タイピストなんてつまらない仕事を宛てがわれることに怒っている才気煥発な女性。その設定を裏付けるように、世間が男性社会であることは理解していて、状況に応じた振る舞いができるし、混乱状態に陥っても喚き立てるわけでなく、打開策を練っていくのが格好いいです。特に、秘書官陣との関係はもっとロマンス小説風に展開すると思っていたので、意外でした。
善し悪しはあれど友人は多いし、男性優位論者だと思われた上司が実はそうでもなかったり、環境は恵まれています。展開に御都合主義な部分もあります。でもマギーを応援しているとそんな細かなことは気にならず読めます。
その他、短気で偏屈だけれど信念に基づいて邁進するチャーチル首相も魅力的でした。

シリーズ化されているので、先も少し気になるかな。

ちなみに、翻訳者の姓が読めなかったのですが、奥付に「あくつ」とフリガナがついていたことをメモしておきます。