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岸本佐和子・吉田篤弘・三浦しをん・吉田浩美著「『罪と罰』を読まない」

ドストエフスキーの名著「罪と罰」を読んだことのない4人が、「主人公はラスコー何某」「おばあさんを殺す」という極めて断片的な知識をもとに、冒頭と結末の文章から全体の筋を推測し、作家や登場人物の真意を「読む」という試み。

非常に面白くて一気読みしました。
もともと同人的に発行する予定だったという企画だけあって、他人の酒飲み話を覗いているようなくだらなさがあるのですが、そのユルさが楽しかったです。

本書を手にした切っ掛けは、「痕跡本の世界」(2018年6月5日記事参照)で行われていた「読んでない本大賞」が興味深かったので、本書のタイトルにビビッと来たことでした。しかし両者で共通する要素は「読んでいない本を語る」という出発点だけで、こちらは参加者の多くが作家ということもあり、「自分だったらこう書くだろう」というストーリー論、キャラクター論にもなっていて、また別の面白さがありました。特に、三浦しをん氏の激しい妄想力が冴え渡っています(笑)。
最終的にも読まないまま終わるのでなく、4人による読後座談会も開いていて、ここで答え合わせと共に「推理も面白かったが、実物にはまた違う面白さがあった」という綺麗なオチがつくのがよかったです。
実は私も「罪と罰」は読んでいませんが、「罪と罰」を読みたくなる、非常に楽しい一冊でした。

古沢和宏著「痕跡本の世界 古本に残された不思議な何か」

メモや書き込みなど「前の所有者の痕跡」を残した古本について、どんな由来の痕跡か妄想を語った短編。
私は、前の所有者の痕跡が嫌で古本は買わない派なのですが、痕跡から新しい物語を考えてしまう筆者の発想力は非常に楽しく、一編ずつが短く良いテンポということもあって一気に読んでしまいました。
「僚 引っ越し」の謎と、「諸葛孔明」の署名は笑っちゃいました。

また、お気に入りの読んでいない本を持ち寄って紹介し、一番興味深かったエピソードを選ぶという「読んでない本大賞」の話も非常に面白かったです。
読んでいない本を紹介してどうするのだ?と思っていたのですが、購入しておきながら敢えて読まなかった本には、読んだ本以上に深い裏話があるものだと感心しました。

三秋縋著「三日間の幸福」

ウェブ小説「寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で。」の文庫版。
ウェブ版のタイトルの方が導入設定は分かりやすいけれど、最後まで読んだ時に相応しいタイトルは文庫版の方なので、いいネーミングだと思いました。

非常に面白かったです。
ストーリーとしては、「自分は特別な人間だ」という小学生時代の万能感を捨てきれないまま、「何かいいことが起きる」と思いつつ惰性で生きている主人公クスノキが、人生の終わりが見えたことで、不幸な自分を哀れむことを辞めて真摯に生きるという展開。
クスノキは駄目で嫌味な奴ですが、私も含め本作の読者層なら、誰しも身につまされる要素があるのでないでしょうか。だから、クスノキの気持ちに寄り添えて読めたように思います。終盤、優しい目標のため一生懸命になれたクスノキはヒーローのように格好良く、眩しいくらいですけれどね。

後書きを読むと、作者は死の直前に世界の優しさに気付く残酷な美しさを描いたようですが、私はむしろ、それこそ優しさだと受け取りました。
同時に、非常に恐ろしいけれど、自分も一度寿命価格を査定されることで、打ちのめされて、馬鹿を治すべきなんじゃないか、と思わされました。

小説の作りとしては、読み進める内に各々のエピソードがパズルのピースのようにハマっていく無駄のない構成で、組み上げられたプロットの巧さに唸りました。こんな小説が一本書けたら、私は満足してしまうかもしれません。

佐渡島紗織・坂本麻裕子・大野真澄共著「レポート・論文をさらによくする「書き直し」ガイド ー大学生・大学院生のための自己点検法29ー」

早稲田大学ライティングセンターの文章指導員による、推敲ノウハウ本。

各項は、まず「悪い文章」が提示されて、切り口ごとに悪い点を確認し、それを書き直した文章が提示される、という流れになっています。
「一度書いたものを直す」という目的に沿った作りで分かりやすいですし、1つの文章を複数の視点で見直して書き直す(直した文章も、完璧な正解というわけではない)ため、単に「こうしなさい」と示すのでなく「自分で考えなさい」と成長を促す意図になっているのは、なるほど「指導」目的の本だなと思いました。

本書がテーマとしているのは、論文を書くことが目的の「アカデミック・ライティング」であり、「テクニカル・ライティング」で使われる技法とは違う部分もありますが、勉強になるところは十分あります。
難を言えば、独学でこの内容をきちんと理解して自分の文章に応用できる人は、そもそもある程度の文章作成能力があるように思えることかな……。

なお本書では、タイトル通り文章をよくする29の技法を取り上げているのですが、技法ごとに執筆者が異なります。最終的に佐渡島教授たちが編集したとはいえ、最初から最後まで違和感なく読めたので、最後に執筆者一覧を確認して驚きました。

池田晶子著「帰ってきたソクラテス」

現代(1992年〜1994年連載当時)に蘇ったソクラテスとの対話型短編20編。
哲学といっても、本書は哲学用語を使わず、話し言葉でまとめていますし、社会的(或いはワイドショー的と言うべき)話題を取り上げているため取っつきやすいです。
登場人物の幅は広く、プラトンや釈迦(ブッダ)はともかく、ソクラテスと関係のない「罪と罰」のラスコーリニコフが登場したのは、ちょっと意外な人選で驚きました。

私は、多少理屈っぽいところがあるタイプだと言うこともあって、基本的には楽しく読めました。
個人的には「長生きしたけりゃ恥を知れ」での、老人福祉係とソクラテスの問答がとても刺さりました。この件は福祉問題に拘らずとも、「肉体が生きているということだけでは何の価値もない」という考えで、自分を高め続ける方が良いという思想に転換するのも大事でないでしょうか。
逆に、サラリーマンとその妻の「不平不満は誰に吐く」や、表現の自由に関する「差別語死すとも、自由は死せず」は、議論自体は面白かったけれど、反論しようがない話で封じ込められてしまった感がありました。
結局、どんな理屈であれ自分が納得いく主張なら「その通りだ」と思うし、逆に納得できない主張は「詭弁だ」と感じてしまうのですが、この辺が哲学的思考の欠如でしょうか。