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花村萬月著「幸荘物語」

私は、読んだ本のあらすじを自分の解釈でまとめていますが、本作に対しては、久し振りに、あらすじを書くことを断念しました。
極貧の芸術家たちと「幸荘」で暮らす小説家志望の僕・吉岡が、劣等感であった童貞を捨てて以降、一目惚れした美女と交際が始まり、応募作は新人賞の最終候補作に残る。賞は逃したものの、次作で成功する強いビジョンを手に入れたーーという出来事の羅列でまとめることは可能だったのですが、それが本作のあらすじだったのか、と考えると少し引っ掛かるものがあったのです。
オチからすると、一人称が「僕」だった小説家志望の男が、一人称が「俺」のアイデンティティに変わるまでを描いていたのか、とも思います。しかし、男性にとって「僕」と「俺」の一人称の違いは何か、本書内では答えが見出せず、その解釈も納得できませんでした。まだまだですね。

金のない若者の衝動といえば、セックスと少々の暴力ということで、性描写が多いです。そのため私の好みではありませんでしたが、男性の「自意識」がよく学べる教材として考えれば、面白かったです。
また、主な舞台である吉祥寺は、昔よく通っていた街なので、描写に懐かしめました。

有吉佐和子著「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

短編「亀遊の死」を戯曲化した「ふるあめりかに袖はぬらさじ」と、同名短編を戯曲化した「華岡青洲の妻」の2本構成。

表題作は、戯曲のタイトルとして有名なので名前だけ知っていましたが、有吉先生の作ということを知らず、驚いたので読んでみました。
こういうお話だったのか、と面白く拝読。
花魁の恋も異人に見初められる話も、驚いたことにただの前振りなのですね。
お園の語る「亀遊の死」が粉飾されていく可笑しみと、幕末から明治へと時代が変わって、粉飾させた張本人である攘夷党の志士によって真実を暴かれ、事実すら消されていく哀しさが圧巻です。
これは是非、機会があれば実際の舞台も観てみたいと思いました。

「華岡青洲の妻」も、有名タイトルですが実は原作を読んでいません。なまじ、華岡青洲が何をした人か知っていると、怖い話が想像できたので避けていました。
実際に読み始めたら、先が気になって夢中で読みました。
ただし、舞台で見たいかと問われると疑問が残ります。登場人物に共感しにくいからかもしれません。本作はどちらかというと、原作小説でどんな風に描いていたのか読みたいです。
医学の進歩のために喰い潰されていく悲惨な一家なのに暗さはなく、嫁姑の戦いをこんな形でする方法があったんだな、と笑いました。

仁木英之著「僕僕先生」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
引退した父の財産で安穏と暮らす穀潰しの王弁は、ひょんなことから僕僕と名乗る美少女仙人の弟子となった。玄宗皇帝の宮廷を覗いたり帝江を訪ねるなど、気儘な旅に付き合う内、人から病や植えを取り除きたいという僕僕に惹かれる王弁。しかし天変地異や妖怪変化に知恵で対抗するようになった人間と仙界は断絶し、仙人に蓬莱山へ引き上げるよう命令が下る。僕僕から薬丹作りを学んだ王弁は一人救済を続け、五年後、人間界に戻った僕僕の雲に乗り、二人は再び旅に出る。

第18回ファンタジーノベル大賞受賞作。
読書中、どことなく第1回受賞作の「後宮小説」と似通った空気を感じました。中国物だから、という単純な理由だけではないと思うのですが、少々言語化が難しいです。

面白かったです。
道教や唐代の中国に詳しくなくても、作中で飲み込めるようになっています。
全体的に、ゆるゆるふわふわと、雲に乗っているようなスムーズさで話が進んでいきます。それは大きな盛り上がりがないという意味でもありますが、それも「仙人」らしさと思わされます。
渾沌に飲み込まれる下りの部分だけ、前後のつながりが見えなくて意義があったのかわからなかったけれど、エピソードの羅列のようでいてゆるゆると関係が深まっていく構造は良かったと思います。

王弁は、なにも学ばず、無為に日々を消費するだけのいわば「ニート」だし、若くもない(最終的には三十路)という、かなりのダメ人間なのですが、悪人ではなく、ただ欲望に忠実な小心者なだけ。「親の財産で働かずに生きられると分かっているのに何故働かねばならないのか」という気持ちも、ちょっと分かる気がします。
そんな憎めない王弁と、常に王弁の上をいく僕僕先生のやりとりが可笑しく微笑ましく楽しかったです。

有吉佐和子著「一の糸」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
箱入娘に育った茜は、父が贔屓にする文楽の三味線弾き・清太郎が弾く一の糸の音色に心を奪われ恋情を募らせ、契りを交わすが、彼には所帯があった。二十年後、独身を貫いていた茜は、徳兵衛を襲名した清太郎と思いがけず再会し、妻を亡くしていた彼から求婚される。後添えとなった茜は、九人の子の母として、昔馴染みの女や夫婦同然の大夫との付き合いに悩まされつつも、芸道一筋に生きる男を支え、戦後の動乱を生き抜く。

お嬢さん育ちな10代から、父を亡くし、母と二人暮らす20〜30代、徳兵衛の妻として苦労しつつも愛を貫く40代と、茜の一代記でありつつ、同時に文学の世界に生きる徳兵衛の三味線への情熱を描いた物語。
有吉佐和子先生には、毎回脱帽させられていますが、今回も凄まじい作品です。
500ページを超える長編だというのに、迫真の展開の連続で、一気に読まされました。

茜は、三十過ぎになっても母親に養われ贅沢暮らしを享受するような我儘娘ですし、徳兵衛にしても三味線以外はからきしの面倒な男で、人間的には全く感心できないのですが、不思議と応援したくなる魅力がありました。
自分の心に真っ直ぐで、嘘をつけないところを羨望するような気持ちもあるかもしれません。特に茜は、継子に背かれたり、周囲から悪妻と思われて苦労しているのに、根がポジティブで深刻にならないところも可愛いです。
戦後にあった文楽界の分裂や修行の厳しさを描いた第三部「音締」の熱量を考えるに、文楽の世界を描いた作品であることは間違い無いのですが、あえて門外漢である妻の一代記とすることでその世界から一歩引いた視点に作者の技巧を感じました。夫への激しい愛が描かれるから、それを徳兵衛に置き換えれば彼の文楽への愛の激しさにも納得がいきます。そして茜にしても、元は徳兵衛の奏でる音に惚れ込んだ前提があるので、二人の愛は「一の糸」に集約されるのでした。

筆力のある作者なので、三味線や文楽に詳しくなくても、特に困ることなく読んでいけると思います。
華やかな娘時代、父を亡くしてからの田舎暮らし、戦前の昭和、戦中・戦後の苦労や復興ぶりと、時代の移り変わりの描写も非常に鮮やかです。
また、両親やみすやの客、文楽界の人々など、大勢の人物にもそれぞれの味わいがありました。

川津幸子著「100文字レシピ」

100文字でレシピが収まる料理だけを収録、という発想が面白い料理本。
ジャンルは和食から洋食、主食からおつまみ、デザートまで多岐に渡っていて、バラエティ豊か。個人的には、檀一雄先生の本にある「ねぎ豚」の実践レシピが載っていて、これが嬉しかったです。
料理本ではなかなか見掛けない文庫サイズで、その小ささも良いですね。

完成写真と作り手のコメント、レシピ(100文字以内)という構造で、一応100文字では書ききれないコツなどは巻末に注釈としてまとまっていますが、これもそれほど多く無い文字量で、とにかく見た目の簡単さを徹底しています。

ただ、レシピが簡単だから作るのも簡単な料理ばかりか?と問うと、少し疑問もあります。
何と言っても、調味料の指定が厳しいのです。
例えば、相当中華料理を作る人でないと「甜麺醤」は常備していないだろうし、味のイメージも湧かないと思います。少なくとも私は「豆板醤」との違いが分かりません。前述の「ねぎ豚」にしても、紹興酒が必要になっていますが、持っていません。味のイメージからすると、日本酒とみりんで良いかな……。

気楽な料理本にするなら、どの家庭でもある調味料を中心に組み立てて欲しかったかな、と思います。