• 2010年登録記事

酒見賢一著「後宮小説」

中学校の図書室で、一度手に取ってみた事があります。試し読みのつもりで捲った箇所が艶かしいシーンだったことと、タイトルから受ける印象の微妙さに気後れして結局借りませんでしたが、どこか惹かれるところがあったので強烈な印象を残していました。
その作品を、十数年経って、ようやく読む事が出来ました。
調べてみたら、直木賞候補作になっていたのですね。だから学校にも入っていたのかな。

選評で「軽さがある」と評されたのも頷ける、さくさくとした読み応えでした。
キャラと展開はそのままで、もっと感動的な大作風に仕上げることも出来たと思うのですが、「歴史資料を元に小説にした」と言う体裁を最初から最後まで徹底的に貫くことで生んだ、あえての軽さだと思います。
歴史書や後世の意見と言う第三者の視線が作中に入る手法は、どことなく銀英伝に似ていると感じます。
が、未来を舞台にした銀英伝と違い中国王朝物ですし、冒頭にしれっと西暦で示されるので、途中まで架空歴史小説であると言う確信が持てなかったです。良く作り込んであると感心しました。

作品の一番肝となるアイデアは後宮を子宮のメタファーとした事だと思いますが、これが後半にきちんと生きてるのが面白いですね。
お話自体は特別眼を惹く展開だとは思わなかったし、官能的な表現が多いのでところどころ気恥ずかしいのですが、読了感が不思議と良く、なかなか楽しめました。
中学生の時に読んでいたらどう思ったのかな。逆に面白さが分からなかったかもしれません。

銀河は、最初から最後まであまり印象の変わらない主人公。格別才女でなく、特に序盤の無知には少々頭の痛い思いがしましたが、正妃になってからはその変わらない傍若無人ぷりが、立場に似合わぬチャーミングな点となっていました。
双槐樹の正体は直ぐ思い至ったけれど、地の文で女と明記されたので読み間違ったと思っていました。読み返したら、単に銀河の印象として双槐樹の事を語る時に女と言っていただけで、断定はしていなかったんですね。
玉遥樹は、最期に美学があったので悪くない印象を残していますが、思い返すと凄い恐ろしい人物ですよね。双槐樹への執着ぶりが凄過ぎる。江葉と世沙明が、それぞれに愛嬌あるキャラなのとは一線を画しています。
渾沌は面白いキャラ。個人的には、作者はこの人物を書きたかったのかな、と感じました。
宦官の真野は銀河が王妃になった後もっと関わって来るだろうと思ったら、まったくそんな事はなくて拍子抜けしました。

ファンタジー大賞の賞品の一部だったとは言え、良くこの作品をアニメ化したな、と思います。
玉遥樹と双槐樹の関係は変更されているようだけれど、菊凶などはどう描いたんでしょうか。

遂に、那智シナリオを始めました。

まだ2章ですが、那智相手だと、褒められているときでも、実のところ馬鹿にされているのか、多少は本心が含まれているのかと言うことが読めず怖いです。
2章などは、生徒会側の位置に立たせることで、ClassZと真奈美に溝を作ろうとしてるような気もするし、やる事成す事に裏を考えてしまいます。
那智の出番が増えると、慧の思考は那智によって方向性を与えられ機能していることが良く分かります。慧シナリオだとそこまで依存していなかったと思うのだけれど、那智シナリオだとこの調子で慧を操っていくのでしょうか。そのくせ、「慧は凄い」と褒め称えるのだから、変な奴です……。

今のところ清春は殆ど関与してきていませんが、「聖帝閑談録」を見る限り、お互いに警戒し合って指導と言う関係にならなそうだと感じます。果たしてどう展開するのでしょうか。

「カサブランカ」DVD感想の続き。

【1幕第6場 カフェ外(A)】
ルノーが犯人逮捕のためカフェに現れ、リックに協力を求める。

洗熊と狸が腹の探り合い(笑)をしているシーンですが、話し掛けられた時のリックが笑顔に見えるので、どこか「なぁなぁ」な緩い印象も受けます。「裏から行こう」と言われてルノーが応じる軽さにも、こんな雰囲気がいつもの事なのだと思わされます。
もっとも、大空アングルで見ると、イヴォンヌを見送った後に口笛を吹きそうな様子が分かりますので、表情が柔らかいのは単にその名残かも知れません。
祖国への思いと、カサブランカに来た理由を問われた時にだけ、リックの瞬きが多いような気がします。細かい所だけれど、他の台詞を言う時はそんな仕草をしないので、意図的な演技なのか、考え過ぎかな。
エミールの「プロとして恥ずかしい」は、東京公演だと矜持がありつつ恥じてる感じでしたが、DVDだと少し気弱な感じを受けました。

【1幕第7場 オフィス〜カジノ(B)】
レジスタンスの英雄ラズロが渡米の為カサブランカに到着したことをルノーから知らされ、リックは脱出の成功に一万フランを賭ける。

賭けの話までは、前場に引き続き丁々発止のやりとりですが、ルノーから素性を調べたことを明かされた瞬間、表情から親しみが消えて硬質の表情のまま動かなくなるのが好きです。
「今にこのカサブランカは」に続く言葉として、大尉は何を言おうとしていたのでしょう。ナチスの占拠下に置かれる、でしょうか。でも大尉のような面従腹背のフランス人がいる限り、彼等が本当にカサブランカを支配する事はないと思うのですけれどね。

【1幕第8場 カジノ(C)とカフェ(C)】
外交官殺害の容疑でウガーテが逮捕された後、リックはシュトラッサー少佐らから詰問される。彼は過去レジスタンスに参加していたのだ。

ウガーテが警官に囲まれた際、隣の席でヤンが「ぽかーん」としているのが可愛いです。
それにしても、ジャンはリックと親しいとも思えないのに何故「俺の時は助けろよ」と言うのでしょうか。蝙蝠的な彼の立ち位置としては、リックの本心を探っているのかも知れませんが、断られて目を剥くのは演技でない感じがします。
ジャンの本心を読み解くのは、この場に限らずかなり難しそうです。
DVDでは映っていませんが、初めてカフェのセットが登場するとき二階から早めに内部を覗くと、給仕中のカールが横を通り過ぎたジャンに気付いてジャケットの中を確かめる、と言う演技をしていました。つまり、リックのカフェの従業員は、ジャンがスリであることを知っているのですよね。その割に堂々としているのは、リックが突き出す訳がないと思っているのか、最終的にルノー大尉に何とかしてもらえると思っているのか。
ただし私は、ジャンはリックの店で仕事をした事はない、と考えています。
理屈は明言し難いけれど、ウガーテがそうであったように、ジャンもリックに憧れている面があるのでないかと感じるのです。自分でも、三人が白系スーツジャケットに蝶ネクタイと言う衣装であることに意味を求め過ぎかと思うのですが……。

リックが少佐から詰問される間、逐一ルノーがフォローを入れたり慌てるのが面白いですが、この時のリックは大尉も含めた制服組全員に対して心を閉ざしている様子。
少佐が飲み干したシャンパングラスを机に叩き付けた瞬間、プラスチックの音がするのが残念です。
それにしてもこの4人のテーブル席、3種類の軍服+リックと言う夢のような席ですね! 絵にしたいくらい。
大尉はヴーヴ・クリコを注文するときに年数を指定するけれど、シャンパンにもワインのようなビンテージがあるのでしょうか。

世間から数日遅れていますが「電撃プレイステーション」vol.492を読みました。
http://dps.dengeki.com/

「タクティクスオウガ 運命の輪」の松野氏インタビューを読んで、評価が高くコアなファンが付いている作品を作り直すプレッシャーと、挑戦に感じ入りました。
そこまで気合を入れて作り直された作品ならば、こちらもオリジナルとは一旦頭を切り離して堪能したい、と期待が高まる一方です。
とりあえずその気持ちの現れとして、タクティクスオウガプレイに備えた日誌カテゴリを作ってしまいました。

そして松野氏のインタビューに頷く度に、嬉しさより不安が増すのが「ヴィーナス&ブレイブス ~魔女と女神と滅びの予言~」PSP移植の報です。
http://news.dengeki.com/elem/000/000/314/314754/
2011年は「セブン」発売10周年ですし、もう2度と動きがないものだと諦めていたシリーズなので、まず第一の気持ちとしては嬉しいです。携帯機向きのゲームだと思いますし、これを機にプレイ人口が増えたら良いと期待しています。
が、兼テイルズファンの麻生でも、この作品にテイルズキャラが投入されるのは凄く残念です。
せめてPS2版にあったKOS-MOS@ゼノサーガが登場するサブイベントのように、V&Bタッチの絵で書き下ろされていれば良かったのですが……。
もっとも、世代交代ゲームである以上、テイルズキャラは仲間になるのでなく招喚攻撃的な位置付けと思われます。それならば、V&Bの世界観を大切にしたい旧作ファンは機能を使わず進めると言う対処方法がありますが、逆にテイルズファンとして考えればその程度のキャラ露出でこのゲームを買う必要はなく、何の為のコラボなのかと疑問に感じます。
他には、家系図機能を付けるとか、年表の辻褄が合わない所を欲しいのですが、今のBNGIにそこまでは望めないでしょうか。せめてバグは消えていると信じます。

ウィリアム・シェイクスピア、ジョン・フレッチャー著「二人の貴公子」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
厚い友情で結ばれた従兄弟同士の王子アーサイトとパラモンは、共に王女エミーリアを見初めたため命を掛けた決闘を行う。戦いの果てに勝利したのはアーサイトだったが、直後に落馬してしまう。絶命の寸前、彼は勝者の権利を譲り、パラモンがエミーリアと結ばれる事になる。

二人の貴公子は、近年新たにシェイクスピアの作品と認定された戯曲。
昨年、これを元にした月組バウ公演があり、未見ながら気になっていたので訳本を読んでみました。

アーサイトが追放処分になり、パラモンが牢に残された時点で、「真夏の夜の夢」のように幾つもの組み合わせと視点で話が交錯するのかと思いましたが、直ぐ二人が再会して決闘話になるので、纏めてしまうとかなり短いお話でした。
二人の貴公子は、アーサイトの方がやや現実的で、パラモンの方がやや理想主義的に見えて、実はお互いの持っていない面を愛してる印象を受けました。この二人、お互いを欠いて生きていけるのか疑問で、終幕後の展開に明るい想像が描けません。
エミーリアがもう少し能動的にどちらかを愛すとか、せめてフラヴィーナの思い出より二人を愛しく思うような事があれば、決闘の意義を感じられそうです。
もしこの戯曲を元に私が創作するならば、二人が失う物に釣り合う価値を決闘に付与するとか、決闘に助太刀する計六人の騎士の背景を書き込むとか、そう言う事になりそうです。

牢番の娘は、結構な紙面を割かれているのに、パラモンを脱獄させる以外ではまったく本筋に関わらないことに拍子抜けしました。
しかし求愛者の愛の深さは凄いですね。どういう経緯でこの二人が出会ったのか等が気になりました。娘がパラモンと結ばれる翻案はあるそうだけれど、求愛者と結ばれる翻案はないのかな。
解説にある、フレッチャーとシェイクスピアが夫々どのシーンの執筆を分担したか、と言う説明を読むと、成程と頷かされます。詩的な長台詞は、やっぱり如何にもシェイクスピア風。一方フレッチャーの言い回しは、牢番の娘の顛末も含めて少し官能的ですね。

ところでこの本、役名の後に10文字分以上のスペースが設けられた後に台詞が書かれている行があったり、ト書きの記載方法が一定でないなど、レイアウトがちょっと妙で読み難いです。
元々の原稿がそのようになっていて、忠実に再現したと言うことなのでしょうか……?
戯曲と言う形式自体があまり親しまれる形でないので、せめて読み易い体裁が良かったなと思います。