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ハリイ・ケメルマン著 永井淳・深町眞理子訳「九マイルは遠すぎる」

いわゆる「安楽椅子探偵」物の短編、ニッキイ・ウェルト・シリーズの8編。
基本的に、聞いた話から推論を語る展開がほとんどなので、地味な話が多いですが、結果として犯人の悪意等に直接触れることが少なく、犯罪が対象のミステリにしては軽くて読みやすく感じました。

著名な表題作「九マイルは遠すぎる」は、やはりスマートな印象。
「推論は理に適っていても正しくない」ことを証明しようとした結果、推論で犯罪を暴いてしまったというオチも揮っています。
ただ、「わたし」が言った「九マイルは遠すぎる」の台詞が、実際は他人の台詞であることがキチンと明言されていないのが少し気になりますが、これは翻訳物だから伝わって来ないだけでしょうか。

10時の学者」のみ、犯人に「真相を知っている」と仄めかす伝言をして故意に自殺させるオチに、後味が悪いと思いました。

エンド・プレイ」は、無関係かと思われた被疑者も推論の中に組み込まれていて無駄のない構成でした。ただ、この作品は読者に与えられる情報が少なくて、推理は困難なのが残念なところですね。

7編までは、ニッキイの推論に驚くばかりでしたが、最後の作品「梯子の上の男」は、私でもちゃんと解けました!
他の作品に比べると、語り手が現場にいる頻度が高く、状況証拠=ヒントが多いためだと思いますが、少しは推理能力が上がったかな、と嬉しくなります。

それにしても、この手のミステリを読むと毎回感じることですが、みんな、記憶力が良いのはもちろん、正確に状況を供述する能力に長けていて驚きます。

日誌を書こうとしたら地震があったので、慌ててコンピューターの電源を落としました。広範囲に渡る揺れだったようですが、マグニチュードの割に震度はそこまで大きくなくて安心しました。

コリー・ウィルス著 大森望訳「ザ・ベスト・オブ・コリー・ウィリス 混沌ホテル」

中・短編SF集。
最初が表題作「混沌ホテル」ですが、これが一番困惑する作品でした。訳者後書きには下記のように記載されていて、正にこの通り。

量子論をマクロレベル(というか、日常生活)に適用した“見立て”のおもしろさがミソなので、そこがぴんと来ないとどこがおもしろいのかよくわからないーーというか、隔靴掻痒の気分を味わうかもしれないが、なんとなくサイセンスをネタにしているらしいハリウッド観光コメディだと思って読んでも、けっこう楽しめるんじゃないかと思う。

私は、まず量子論というもの自体がぴんと来ないし、キャラクターにイライラするし、という具合で楽しめなかったですね。
そのせいで、残りの4作は読まずに止めようかと思ったくらいです。
でも結論から言うと、私が面白くないと感じたのはこの1作目だけで、あとは面白かったのでした。

ガラッと印象を変えたのが2つ目の短編「女王様でも」。
なんと、月経をネタにした作品というアイデアの段階で脱帽。結局、なにが起こるという話でもないのですが、女同士の会話の応酬が面白かったです。現代でも「健康のためにはピルを飲んだ方が良い」という人と、「自然に反している」という人とがいますから、現代女性にとってもリアルなお話ですね。

中編「インサイダー疑惑」はインチキ霊媒を暴くデバンカーの話。
SFというより、どちらかというとミステリ仕立てで、懐疑主義者の男が美人助手と霊媒を見に行くと、お定まりの「アトランティスの大神官」の降霊をやっているが、突然雲行きが変わり……という導入。
この導入で、いかに観客を騙すかという詐欺の技術が語られているのがまず面白いし、テーマとなるヘンリー・ルイス・メンケンという人物が実に振るっています。私はメンケンについてまったく知らなかったのですが、彼の金言を読むだけでも興味が掻き立てられますから、その「本人」が登場するとなれば、面白さは保証されたようなものでした。

短編「魂はみずからの社会を選ぶ -侵略と撃退:エミリー・ディキンスンの詩二篇の執筆年代再考:ウェルズ的視点」は、ディキンスンの詩を論文仕立てでSF的解釈したコメディ。
最初困惑したけれど、受け取りかたが分かったら笑いっぱなし。こういうお話のスタイルもあるのか、と驚きました。

中編「まれびとこぞりて」は、宇宙人との交流を描いたお話。私は聖歌の知識があり、歌がある程度わかるためそれなりに面白かったけれど、人の話を聞かない人間が出てくるので疲れました。
でも、先方からアプローチしてこない宇宙人とのコミュニケーションを模索するという視点は面白かったです。

全体的に、女性作家ならではのSFなのかもしれません。体験を巧みに折り込んでいたり、ユーモアに溢れていたり、なかなか楽しめました。
それだけに、表題作が一番評価の難しい、読む人を選ぶ作品だった点が残念だなと思います。

ロバート・F・ヤング著 伊藤典夫他訳「たんぽぽ娘」

何度読んでも、訳を変えても「たんぽぽ娘」は傑作ですね。
しかし、私が元々SFに興味が薄いゆえか、他に強く心に残る作品はありませんでした。
そして、訳者あとがきでヤングの作品傾向に「少女愛」が見られることを知ってしまうと、この「たんぽぽ娘」という傑作にもケチが付いた気がしました。

13編のSF短編集。訳は「エミリーと不滅の詩人たち」「失われし時のかたみ」「ジャンヌの弓」の3編のみそれぞれ異なる女性訳者。残る10編は伊藤典夫氏。どれも読み易くとても良かったです。

以下は、13編の印象を覚え書き。

「特別急行がおくれた日」
不思議な物悲しさがあるものの、読み終わっても謎が残って消化不良でした。

「河を下る旅」
死への旅路が生きる道へと繋がる、地味だけれど素敵な作品。

「エミリーと不滅の詩人たち」
お洒落。しかし、詩人アンドロイド・テニソンの生きている感が少し怖かった。

「神風」
概念的過ぎて半分以上理解できませんでした。

「たんぽぽ娘」
再読して、一層「夏への扉」と似た雰囲気を感じました。

「荒寥の地より」
古き良きアメリカのノスタルジックな雰囲気はあったものの、読み終わったあと、タイトルからまったく内容を思い出せなかった作品。恐らく、この思い出話が現代の主人公に何も影響を及ぼさないから印象が薄いのだと思います。

「主従関係」
ヒロインの態度が鼻についたけれど、基本的に犬が好きなので、綺麗なオチに思わず笑った作品。

「第一次火星ミッション」
ストーリーは分かるが、設定が腑に落ちず。

「失われし時のかたみ」
淡々としていて、少し退屈。

「最後の地球人、愛を求めて彷徨す」
最初から最後まで、男こそ気が触れているんだと思いながら読みました。それで良かったのか、ヤング氏に聞いてみたいところ。

「11世紀エネルギー補給ステーションのロマンス」
最後のオチに、なるほど、とSFでおとぎ話を解釈する面白さを味わえました。

「スターファインダー」
罫線などの記号を使った小説という作り自体にビックリしました。

「ジャンヌの弓」
読み応えがあって面白かったのですが、最後の弓矢に関する意味が分からなかったのが残念。

チェーホフ著 神西清訳「かもめ・ワーニャ伯父さん」

「素足の季節」(2015年3月25日日誌参照)で「かもめ」が取り上げられていて、興味を持ったので読んでみました。

しかし、肝心の「かもめ」は読みかたを間違えて、一読した時点では論点がわからず戸惑いました。というのも、「素足の季節」では重要な役になるマーシャが、脇役なんですね。
マーシャのことは本筋でないと把握して、トレープレフ(コスチャ)とニーナ、アルカージナとトリゴーリンの4人に絞って読み直すと、なるほどと思う作品でした。でも、自分が実際に舞台で観たいかと問われると、あまり前向きな答えは出ません。
現実に挫折する若者2人の内、それでも女は生き、男は自殺するというところは、チェーホフが考える男女の差なのかしら。

「ワーニャ伯父さん」は、ある程度話が進まないと人物像が掴めず、戯曲の難しさを感じました。例えば、ソーニャが不器量だなんて会話だけでは最初は分からないし、エレーナがそこまで人を狂わせるような美女とも感じられませんでした。
女性陣のそういう設定が分かってから読むと、ある程度腑に落ちたのですが、それが分かるまでは困惑しました。
ロシア人は、ただでさえ難しい名前と愛称をしているのに、不必要に感じるくらい登場人物が多くてややこしい人間関係なので、戯曲形式だと頭がこんがらがりました。

エラリー・クイーン著 越前敏弥訳「Yの悲劇」

【あらすじ】
奇人揃いの大富豪ハッター家で、三重苦の娘ルイーザを狙った毒殺未遂事件が起き、遂に母親エミリー老婦人がマンドリンで殴打され殺されるという奇怪な殺人が起きる。犯人に触れたルイーザは「すべすべした頬とバニラの匂い」がしたと証言するが――

日本では最も人気のあるエラリー作品と名高い小説。
……なのですが、個人的には、犯人が分かっているのに、遅々として捜査が進まないということに、非常にイライラしながら読みました。
後でレーンが「その時点で犯人を言っても、突拍子もない人物だから信じてもらえないと考えて言わなかった」と告白しますが、途中、警視たちと意見を出し合っていた意味はなんだったのかと憤ってしまいました。
なぜ、確信が持てないという理由で、調べるべき事項を見過ごすのか。
その上、真相(犯人)に辿り着いてからも、自分の判断で口を閉ざした挙げ句、協力を放棄しようとするのです。
この辺は、読書中ずっと引っ掛かってしまいました。職業意識の差でしょうか。
でも、探偵の行動は不正義で不合理だと思うのです。
第一、レーンは犯人の犯行を社会の罪だと断じているけれど、本当にそうでしょうか。少なくとも私にはピンと来きませんでした。結局、司法の手に委ねない判断をしたレーンは、独りよがりに感じます。

犯人が直ぐ分かった点については、ミステリーにおいて「傑作」と呼ばれる以上、真犯人は「意外な人物」だという先入観があったから、直ぐ犯人を導き出せたのかもしれません。
凶器として「マンドリン」が使われた理由は、完全に読み違えていたので、なるほど、英語ならではの理由だと感心しました。

腑に落ちない幕切れについては、完全にネタバレのため隠します。