• カテゴリー 『 読書感想 』 の記事

デュウィ・グラム著 安原和見訳「オーシャンズ11」

2001年版(リメイク版)映画「オーシャンズ11」のノベライズ。
映画は未見。舞台版(宝塚)の知識しかありません。
舞台版とは大きくプロットが異なり、各人の役回りにも違いがあるのですが、意外と全体の雰囲気は変わらないと思いました。そして私の場合は、映画俳優より役者の方が印象が強いので、ダニー、バシャー、イエン、リビングストン、ベネディクトは花組版キャスト、ソール、ライナス、フランクは星組版キャストの顔で補完されました。

私は「ピカレスクロマン」が不得意なのですが、本作の場合は犯罪とはいえ「一大プロジェクト」を描く作品なので、ごく普通に楽しく読めました。
標的のベネディクトが、結構しぶとそうな野心家なのも良かったです。

訳はやや直訳気味に感じました。説明がない部分はまったく説明がないので、ある程度読み手に理解力がないとなにを描写しているのかわかり難い箇所がありました。
お洒落な会話は解説しなくても良いけれど、プロジェクトに関わる部分は、明瞭にして欲しいです。例えばブルーザーとダニーの関係性等は、語らなくても「買収済み」程度の想像はつくけれど、以前からの知り合いのような描写なので、多少説明して納得させて欲しいな、と思ったりしました。

山本幸久著「床屋さんへちょっと」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
真面目一徹に働き続けて老いた宍倉勲は、墓を買おうと、思い入れのある土地に新たにできた霊園の見学に出掛けた。そこから、勤め先での一コマ、家出した娘を迎えに行くため夫婦で乗った列車、潰してしまった会社の日々などが蘇る。

一人の男と家族が描かれた物語。
人生にはどうにもならないことや、理不尽で辛いこともあって、それでもたまには幸せもある、と気付かされる作品です。

主人公の人生を、過去へ遡るかたちで描いていく構造の連作小説……と思わせておいて最後に裏切られ、これはつまり、勲の走馬灯だったのだと私は解釈しました。
どれも、ごく普通の家族が、ごく普通に生活している中で遭遇する一場面です。
それゆえドラマチックな展開があるわけではなく、冒頭の「桜」「梳き鋏」は正直退屈しましたが、「マスターと呼ばれた男」辺りから面白くなって、終盤は愚直な勲の不器用で優しい魅力を、しみじみ味わいました。

表題作以外でも、全話(文庫書き下ろしの「歯医者さんはちょっと」除く)、床屋または散髪シーンが出て来るのですが、内容にはほぼ関与しないため、最初は気付きませんでした。地味なタイトル回収が面白いです。

エッセイ色々。

姫野カオルコ著「ジャズをかける店がどうも信用できないのだが……。」

「そういうことになっている」ことに突っ込んでいくエッセイ。確かに不思議だと頷かされたり、そんなことに拘らなくてもと思ったり、人それぞれの価値観に気付かされます。
深く考え始めるとなかなか哲学的な要素もあり、独自の視点が面白いところ。実用書(エロ本)の考察には苦笑しました。

群ようこ著「財布のつぶやき」

「財布のつぶやき」「いつものごはん」「家のうちそと」「日本語なのにわからない」の4つのカテゴリーの語りを収めたエッセイ集。
日常を群ようこ節で語っていますが、こと金銭感覚に関しては、合わない人の話はとことん合わない、と痛感しました。

東海林さだお「昼メシの丸かじり」

抱腹絶倒の食レポエッセイ。もちろん、全編にイラスト付きで、これまたクスリと笑わせます。
ひたすら食べる話だけが続くのに、常に新鮮に読ませて、各話きちんとオチをつけるという、これぞ待ち望んでいたエッセイでした。これがシリーズ19作目というのだから、脱帽です。

米原万里著「ヒトのオスは飼わないの?」

本業の翻訳話ではなく、飼っている犬猫に関するエッセイ。タイトルの時点で、もう掴みが完璧です。
個性豊かな犬猫たちの様子を読んでいると、いつしか自分が彼らと一緒に暮らしている気分にさせられました。エッセイにしては山あり谷ありでドラマチックなのは、作者のスケール感でしょうか。

木内昇著「漂砂のうたう」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
御家人の次男坊だった定九郎は、過去を捨て、根津遊郭の仲見世で働いていた。新時代に取り残され、行き場もなく、虫けらのように扱われながら生きることに飽いた定九郎は、花魁・小野菊を足抜きさせる工作に荷担するも失敗し、今まで通りただ仕事をする日々に戻っていく。

明治の根津遊郭という舞台設定、花魁でなく遊郭で働く男たちにスポットを当てる切り口は、なかなか斬新で勉強になりました。地の文を含めた言葉もきちんと時代物になっていて、郭ものとしては一級品の文学作品だと思います。

しかし、読んでいて非常に辛い作品でした。
時代に翻弄される人間の弱さを描いているため、爽快になる箇所が一切ないのです。
特に、主人公が難点でした。弱く情けないのは、そういう人物像だから仕方ないのですが、頭は鈍いくせに、最初から最後までずっと逆ギレしている感があります。当然、そんな人物に魅力は感じないし、人として共感もできず、読んでいる間中イライラしました。

物語としても、展開が遅く地味です。足抜きの片棒を担ぐと決まってからも、なかなか話が進展しないので、正直退屈しました。
そんなわけで、文章としては大変上手な小説なのに、読むのに苦戦させられました。

エレナ・ポーター著 村岡花子訳「スウ姉さん」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
父の倒産と病気によって、スザナは慣れない家事を切り盛りしつつ、ピアノ教授で妹と弟の学費を稼ぐ日々を始める。ピアニストの夢を諦め、婚約者の愛も失い、ひたすら家族に尽くすスザナ。そんな中、地元の名士であるバイオリニスト・ケンダルの伴奏をしたことが切っ掛けで、二人は密かな恋情を抱く。妹弟の結婚、介護していた父の死を機に、自分自身の夢に戻ることを考えるスザナだったが、誰かに必要とされることこそ喜びだと教えられ、ケンダルのプロポーズを受ける。

読んでいる間は、我慢強過ぎるスウ姉さんにイライラしました。心を病んだ父はともかく、姉の犠牲に気付かない鈍感な妹や弟のために、なぜスウ姉さんがここまで自分の人生を犠牲にしなければいけなかったのでしょうか。
終盤、ようやく妹と弟が心を入れ替えるシーンがあって、これで報われるのかと思いきや、読み終わって更なる歯痒さを覚えました。

本作では、人に尽くす生きかたを「善」として描いています。それは確かに高尚なことだけれど、それがすべての人間の喜びなのかは疑問です。
終盤、女流ピアニストという人物が出てきて、「絵画の道を諦めたメリイ女史」というもう一人の「スウ姉さん」と言える人物のことを語り、家族に尽くした人生を「本当の生きがいのある生活」と語ります。しかしメリイ女史自身は、

「あなたはほんとうに生きがいのある生活をしている。私なんかはまったく無意味の生存だ」

と手紙に書いて寄越しているのですから、実際は自分の人生に満足していないのです。
こんな一面的な女流ピアニストの言葉に感化され、家族に尽くす道に戻ったスウ姉さんに脱力しました。
結末に関しても、結婚を女の幸せとする価値観は構いませんが、なぜ職業人として自立する夢と結婚を両立できないのでしょうか。ケンダルと結婚した上で、伴奏者としてピアニストの夢も完遂するラストであれば、報われた感じがしたと思いますが……。

「本人が心からしたかったことを諦める」という苦過ぎる終わりに、時代の差を感じた読書でした。