• カテゴリー 『 読書感想 』 の記事

道尾秀介著「月と蟹」

【あらすじ(終盤までのネタバレ有り)】
父を失くした慎一は、かつて祖父が船事故で、同級の人気者の少女・鳴海の母を死なせてしまった事情から、小学校で疎外されている。しかしある日、慎一は母と鳴海の父親の逢瀬を目撃する。友人と創作した願い事を叶える儀式で、慎一は「鳴海の父をこの世から消してください」と願うのだがーー

少年期の甘酸っぱい物語かと思いきや、子供たちの小さな社会の闇を描いた怪作。

ところどころ、ホラー風の不気味なテイストを感じて肝が冷えました。
カエルの肛門にストローを刺して膨らませるだとか、アリの巣を破壊するとか、子供は残酷な行為を容赦なく行うものです。本書では「ヤドカリの貝を炙って追い出した後、焼き殺す」という遊びが行われますので、そのこと自体はサラリと読めたのですが、そこに儀式的な意味が与えられ、次第にドロドロとした情念が込められていくところが恐ろしかったです。

どうにもならない結末は生々しく、考えるほどに腹の底が重たくなる読了感。
作中に吹く風も、山では轟々と吠え、海では湿度が高く、清々しさより息苦しさを感じました。

坂東眞砂子著「ラ・ヴィタ・イタリアーナ」

イタリア滞在・取材旅行を描いたエッセイ。
作者当人が書いている通り、前半と後半で少し雰囲気が異なります。
前半は、イタリアの中にいて、彼是論評しつつイタリアを楽しんでいるエッセイ。後半は、イタリアから一旦離れ、改めて来訪者として訪れた少し冷静な視点の分析エッセイ。最後は「ドロミテ異境探訪」という、雰囲気の違う旅行記。

前半部分は、題名から期待した通りの雰囲気で面白かったです。
イタリアという国の適当さ、不便さ、ゴタゴタが中心ではあるのですが、作者は最初からイタリア通なので、ある程度怒りつつも、割とこの手の「イタリア流」の面倒臭さを受け流しているように感じます。「イタリアで教習所に通う」という下りは、他に類を見ない独自のエピソードで楽しかったです。

ちなみに、私は「人生は美しい」と積極的に思うことはないけれど、ことさら悲観するでもなく、「人生まあまあに楽しめば良いじゃないか」という日和見派。
本書で語られている、イタリアを楽しめるタイプに入るのかどうか、少し微妙なところです。

男性主人公のお仕事小説2冊。

新野剛志著「あぽやん」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
旅行代理店では閑職とされる空港勤務「あぽやん」になった遠藤慶太は、本社に戻りたい焦りと仕事への不満で腐っていた。しかし先輩社員たちの「お客様を笑顔で出発させる」信念に触れ、空港でのトラブルを処理する内に、一人のあぽやんとして成長していく。

空港という、非日常の世界のお仕事小説ということで、バッグヤードは面白かったです。
けれど、主人公は最初のうち、異動直後のぺーぺーなのに偉そうなのでイライラしました。先輩たちの方も情報の出しかたが悪く、一概に主人公が悪いと言い切れないところはありますし、偉そうなところが改められていく展開なので、難しいところだと思いますが。
恋が成就しないという結末は、少し意表をつかれたし、登場人物に主人公と影響し合わない別の人生があるところが良かったです。

大崎梢著「プリティが多すぎる」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
26歳、文芸志望の男性社員・新見佳孝は、女子中学生向けファッション雑誌の担当に異動してしまった。自分の美意識と合わない誌面作りにやる気も起きず、次の異動まで無難に過ごそうと思うも、畑違いから意外な失敗を繰り返す。その度に関係者や読者モデルたちのプロ意識に触れ、例え興味のない仕事でも全力を尽くして楽しむ姿勢を獲得する。

こちらの主人公もやる気がないタイプですが、文芸志望者が女子中学生向け雑誌では、さすがに畑違い過ぎて致し方ないかな、と共感できる導入です。失敗もかなりのレベルですが、読者モデル「ピピモ」たちを、佳孝が一人前の「職業人」として認めていくのは、なかなか偉いものだと思えました。
雑誌「ピピン」のキャッチコピー「プリティ、ポップ、ピュア、ピピン。女の子はPが好き」がキャッチーで気に入ったので、このコピーが終盤効果的に使われるのも良かったです。

ディムール・ヴェルメシュ著 森内薫訳「帰ってきたヒトラー」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
2011年8月30日、アドルフ・ヒトラーは突如ベルリンの公園で目覚めた。ヒトラーを模した芸人だと勘違いされた彼は、TVのコメディ番組に出演することになり、現代政治への強烈な「ブラックジョーク」で一躍人気者になる。そして、遂に現代政治に参画する再起のポスターが刷り上がる。

本書は全編、ヒトラーのモノローグで進むのですが、物事を彼流に解釈・再定義する様や、振る舞い、思考、演説力は正にアドルフ・ヒトラー。本人が現代に蘇って語っているかのようで、震撼しました。
これに関しては、訳も素晴らしい仕事をしていたと思います。
また、文庫版には注釈が着いているので、文化背景の違う日本人でも、全体的に理解し易くされていました。

前半はヒトラーが現代文明に戸惑う滑稽なシーンも多く、コメディではあるのですが、現代政治・社会への辛辣な視点には若干頷かされてしまう箇所もあり、とにかく最初から最後まで惹き付けられました。
ヒトラーは一切の妥協せず、1945年時点のナチズムのまま発言しているのに、誰もが彼を「変わり者だが才能のある芸人」と解釈しているせいで、彼の言葉を自分たちの文脈に勝手に置き換えて理解して受け入れ、熱狂していく様は、面白くもあるし、後ろめたさも感じさせられます。

後書き等で色々と危惧が書かれていましたが、こういう作品が、きちんと「風刺」として受け入れられるドイツは健全だと思いました。

高峰秀子著「まいまいつぶろ」

女優・高峰秀子の生い立ちから結婚までの半生を綴ったエッセイ。
正直、語りたいテーマが見えないと思いました。そもそも、自分の意志で書いているわけでない雰囲気も垣間見えます。独特の語り口調や表現、スパッと盛り込まれる鮮やかな意思など、冴え冴えとした部分もあるのですが、根本的に本人が書きたいものを書いているように感じられず、私にはピンと来ない本でした。

しかし、養女・斎藤明美の解説「“高峰随筆”の原点」で、本書の読みかたがわかった気がします。
本当は義母との確執や女優生活への嫌悪があるのに、本書ではそれを上手にボカして綴っているのですね。そんなところに着目すると、なるほど女優だなと思わされました。