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ジェローム・K・ジェローム著「ボートの三人男」

「ユーモア小説の古典」と言う謳い文句ですが、英国作品なので、どちらかと言えば皮肉的なブラック・ユーモアなのでしょうか。
一章の「医薬品広告や医学書を読むと、そこに書かれている徴候が自分に当てはまっていると思い込む」と言う下りなどは、成程なぁと面白く感じました。その後の医者の処方箋も凄く機転が利いてて良いですよね。
また、十三章でスチーム・ランチを悪し様に言って進路を妨害しておきながら、十六章で友達のスチーム・ランチに曳いてもらうと、邪魔なボートを罵ってると言う、ほんの数十頁前に言ってたことと全く真逆の下りに気付いた時なども、もの凄く身勝手だけれど、頷かされる変わり身でニヤリとさせられました。
ただ、分かり易い面白さでない部分の方が多く、しかも主人公含めて身勝手な人々が他人に迷惑をかける話が多いので、ちょっと疲れました。こういうのがユーモアなんですかねぇ。文化の違いかな?

私は最初、河に行こうと言いつつ、部屋の中で計画を話すだけで終わっちゃうのではと疑っていましたが、ちゃんと敢行したあたり、英国紳士は実行力がありますね。
行程の描写が、まんま旅行案内のようだったので、解説で「着手段階ではテムズ河の歴史的・地理的な展望の書として目論まれた」と言う旨に「やっぱり」と感じました。

オークシイ著、中田耕治訳「紅はこべ」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
フランス革命後、ギロチン行の貴族達を謎のイギリス人「紅はこべ」が救出していた。イギリスの大貴族に嫁いだマルグリートは、敬愛する兄の命と引き換えに紅はこべの正体を探るよう脅され、夜会で知った、紅はこべが明日亡命者たちと落ち合うと言う情報を革命政府全権大使ショーヴランに教えてしまう。だが翌日、愚鈍と疎んでいていた夫パーシーが紅はこべであったことを知ったマルグリートは、夫への愛に目覚め、自ら彼を追って危機を知らせようとする。三者の追跡と駆け引きの末、紅はこべによる亡命者と兄の救出が果たされる。そして互いへの疑心が晴れた二人は、愛を確かめ合うのだった。

先日感想を書いた舞台「スカーレット・ピンパーネル」の原作「紅はこべ」。

何種類か出版されているようですが、私が読んだのは河出文庫版。
頁を開いた途端、最近の本と異なる細く小さな活字体に、なんだか昔の文学集を読んでるようなワクワクした気持ちになりました。
訳は、ちょっと接続詞が変だなと思う所もありましたが、そんなに引っ掛かることなく読めました。

期待通り面白かったですが、原作はマルグリットの視点中心に進むため、パーシーを主人公にした冒険活劇である舞台版に比べると、心理劇の面の要素が強いでしょうか。
二人が結婚済の時点で物語が開始していることや、皇太子ルイ・シャルルの救出やパリでの痛快な活躍がまったくないことから、舞台版の脚本を書いたナン・ナイトン氏は凄い膨らませ方をしていたのだな、と大変驚きました。
もし先に原作を読んでいたら、舞台版に違和感を感じたのでしょうか? しかし根底が同じ作品であることは間違いなく、私は違和感なく両作とも楽しめました。
読んでいて、ところどころ「怪盗ゾロ」を思い出しましたが、あれも謎のヒーローと、その正体を知りたいヒロインのお話ですね。

原作ではアルマンがマルグリットの兄(舞台では弟)であることは予め知っていたのですが、アルマンが好男子な上、マルグリットが異常に兄想いなので、自分がパーシーだったら少し妬けるような気がしました。
弟だと、あの愛情過多も多少許せるし、パーシーに救出を懇願しても良い気がするのですが……。
これは勝手な想像ですが、普通に格好良くてビックリした明日海りおのアルマンは、もしかすると原作を参考にしたのかな?と思いました。

ショーヴランが有能だったので、敵として怖さが増していました。でも、どの要素で紅はこべの正体に気付いたのかは不思議。食堂で寝てるパーシーを見付けた段階では、彼の事は疑ってませんでしたよね。晩餐会から帰宅するマルグリットと話すシーンの時にはまだで、彼が出発してから気付いた?
一方の紅はこべの扮装は、途中で勘付いたため、そんなにあっと驚く面はありませんでした。どちらかと言うと、鞭打ちされた上、ショーヴランへの直接の仕返しなしのままと言う展開に驚きました。

続きのシリーズ作品があるようなので、そちらで報復したのかな。

アーネスト・ヘミングウェイ著「誰がために鐘は鳴る」上巻のみ。
前回のヘミングウェイ作品でも苦しんだ「主人公の一人称なのに、何を考えてるのかさっぱり分からない」点に今回も悩まされています。
また今回は、ゲリラの一人の言葉使いが意味不明なところがあり、最初は何度か引っ掛かりました。原語に忠実に訳すとこうなってしまうのかと思いますが、日本語として分かり易く書いて戴けないものでしょうか。
翻って考えると、児童文学の訳はどれも秀逸だと思います。

本の粗筋などでは恋愛小説のように紹介されているけれど、今のところ主人公は鉄道爆破のことを意識の一番上に持ってきているので、戦争小説の側面の方が強く感じます。
「武器よさらば」同様、主人公とヒロインが恋に落ちることに理屈がないのが面白いです。
雪の中持ち場で待っていたアンセルモ老人と、迎えに来たロベルトのシーンは少し惹き込まれました。

次回宙組本公演の予習として読んだのですが、場面展開が少なく、閉鎖空間での人々の思惑の交差が主と言う感じなので、これをどう一本物の舞台として成り立たせるのか、不思議です。

今週読んだ本。

「かもめのジョナサン」リチャード・バック 五木寛之訳

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
カモメのジョナサンは他のカモメと異なり、飛行自体に価値を見出し、訓練を繰り返していたため異端として群れを追放される。それでも飛行訓練を続けたジョナサンは、高次の世界へ導かれ、思考と肉体の鎖を解き放った自由な存在となる。
ジョナサンは同胞を導くため群に戻る。やがて、弟子のフレッチャーが事故の末に高次の世界へ行き着き思想が引き継がれると、ジョナサンは飛び立って行く。

日本訳を最初に出版したのはリーダーズ・ダイジェストだった筈ですが、後から出した五木寛之訳でベストセラーになった短編、と言う程度の事前知識。
寓話であると言う事も理解していなかったので、読み終えた後はしばし唖然としました。翼の折れたメイナードがジョナサンの思想に触れて飛べるようになるとか、岩に激突したフレッチャーが生き返るシーンは、聖書の一節のように感じます。取り敢えず「生活の為に生きるのは止めよ」と呼び掛けている話だと受け取りましたが、高尚だとは思っても、自分には未だピンと来ないです。
宗教観とか死生観と言った精神を持ってないと、読み解けないのかも。ジョナサンは日常に立脚して高次にあるのでなく、日常を捨てて高次に移行するけれど、私は日常の中から自分を見出す話の方が好きかなぁと思います。

「燃えよ剣(下)」司馬遼太郎

ようやく下巻を読みました。上巻よりスムーズに読めたような気がします。要は面白かった、と言う意味で捉えて頂いて結構です。
近藤の覇気の抜け様や、榎本や大島の弱腰に「ちぇっ」と舌打ちし、自然と土方に肩入れして読ませてしまうのは、司馬氏の巧さなのか、日本人の判官贔屓なのかなぁと感じました。
あと、上巻で感じた女性の使い方の不満は、下巻のお雪さんで帳消しにしておきます。

ジョンストン・マッカレーの小説。広瀬順弘訳。

結論から語ると、面白かった!
先が知りたくてあっという間に読んでしまいました。
さすが全世界ベストセラーです。有名作品に食指が動かない天の邪鬼な私でも、自信を持っておススメします。
いつも粗筋を書いていたのは、自分自身の文章力向上を目的としていたのですが、今回はどんな風にまとめても本の面白さを損なうような気がして、断念してしまいました。いつか、物書きとして独り立ち出来たと思う時が来たら再挑戦します。
王道ヒーロー物で、完全な予定調和で構成されています。が、小気味良いテンポで展開が進むし、広瀬順弘氏の訳文も読み易く、スムーズに世界に没頭出来ました。これぞ活劇、と言う作品に巡り会えたと感じています。
ゾロはちょっと行動が荒くれだったり、知より勇に偏り過ぎてるかなと思うのですが、最終的には「紳士(カバイエロ)」と言う人々の格好良さでお話が締まってますね。日本の「武士」、中世物の「騎士」みたいな感じですが、階級的には英国の「貴族」に似てるのかな?

ネタバレですが、観てはおらずとも「ZORRO」配役で水夏希=ドン・ディエゴ=ゾロだと分かっていたのに、本当にそうなの?と自信がなくなるようなドン・ディエゴの無気力&朴念仁っぷりに大変笑わせてもらいました。
いや、うっかり「途中でゾロが力尽き、ドン・ディエゴがゾロを引き継ぐ」なんて展開を疑ってしまいました。