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花組公演「愛と革命の詩−アンドレア・シェニエ−」SS


ジュール・モランが、年下の同志を尊重するのは、彼を敬愛しているとか、信頼しているとか、そんな温い感情とは無縁の理由である。
同志ジェラールは美しい。
飾りを取り払い、生身一つで汚泥の中に立ってなお、白々と輝いている。
モランが思うに、その清廉な美しさこそ、革命の旗手として最も重要な資質であった。
民衆は、その美しさに革命の正義を見る。革命への期待が消え失せつつあるいま、ジェラールの美しさが革命政府に与える正当性は貴重だ。それゆえ――
モランは徴発した地下新聞を手に取った。見出しは、革命政府に批判的な詩人が書いた記事である。近頃、彼の詩を指して、民衆はこんなことを言うらしい。
すなわち、高潔、清逸、美麗。
刈り取らねばならない。民衆が知る美しいものは、ジェラールだけで良い。
粛清予定者の中に詩人の名を書き入れたモランは、新聞を破り捨て長靴で踏み潰した。


明日、千秋楽。

宝塚花組「復活/カノン」15:30回(VISA貸切)を観劇。
お手伝い生徒は千幸あき。貸切アドリブはショーの中詰め開始で「VISA!カード!」の掛け声。

まず、芝居の「復活」。
トルストイの文芸作品が、ちゃんと娯楽作品として巧く舞台化されていたと思います。
誰もが、何かを失い、何かを得たような最後で、決して明るくないけれど爽やかさも感じるラストでした。要するに、副題「恋が終わり、愛が残った」ということなのかな。
ただし、カチューシャがシモンソンとの結婚を選んだのは唐突に感じました。ネフリュードフとの結婚に障害がなくなってしまったため、愛する彼を不幸にしないよう先手を打って他人と結婚した、という見た通りの解釈で良いんでしょうか?
「カサブランカ」でイルザがリックを愛しつつラズロと歩む道を選んだのは、彼への尊敬という愛があったからだけれど、この作品ではカチューシャがシモンソンを愛しているようには見えなかったので、シモンソンに失礼だと思いました。せめて2人のシーンがあれば良かったになぁ。
自分なりの「思想」を持っている女性キャラが複数いて、素敵だなと思いました。

ショー「カノン」は、一つ一つのシーンを思い返すと「タンゲーラ」「ディアボロ」「パシオン・ネグロ」など好みの場面もあるのですが、全体的にショー全体の構成がチグハグしていた印象。
例えば、「タンゲーラ」「ディアボロ」はどちらも“誘惑者”の場面だから一方で十分です。中詰は全体がイタリア風なのに最後だけ突然ラテン系になるのが不思議。「祈り」の後はフィナーレかと思いきや、大階段を出さずスパニッシュの対決シーンを挟むので、いったん盛り上がった気持ちが落ち着いてしまいました。
男役群舞シーンにおける蘭寿・朝夏デュエットには驚愕の余り口を開けたまま観劇してしまいましたが、全体的に振りは好きでした。
とにかくガンガン踊るショーで、出演者達の身体能力の高さに色々な箇所でビックリさせられました。

出演者に関しては、語ると長いので全部一言にしてみました。
蘭寿とむ:台詞を溜め過ぎ。
蘭乃はな:スカートめくれ過ぎ。
壮一帆:軽薄男が板に付き過ぎ。
悠真倫:笑わせ過ぎ。
華形ひかる:良い奴過ぎ。
花野じゅりあ:格好良過ぎ。
朝夏まなと:オーラ出過ぎ。
望海風斗:歌ウマ過ぎ。
月野姫花:アニメ声過ぎ。
……みんな好き!