• 2013年02月登録記事

前回、満足と言った舌の根も乾かぬうちに、見落とした住民を救出してEXTRA VISION「バルーの塔」を出現させました。
ということで、記念すべき1回目のタイムは05'53''70でした。やっぱり終盤のフラムゥを二段ジャンプで乗り継いでいく箇所が難所ですね。何度も落下死しました。
夢のかけらは、意識しなかったので79個(最高150個)。
「バルーの塔」を攻略すると「ミュージックプレイヤー」を手に入れることができます。
これで、初代クロノアのすべての要素が解放された事になるので、後は時々思い出した時に遊べれば良いかな、と思っています。

……と言いながら、「バルーの塔」の中途半端な夢のかけら回収率が悔しくて、「バルーの塔」&VISION1−1〜5−1の夢のかけら150個を集めることにしました。
VISION5−2以降は難易度が跳ね上がるので、その内本腰を入れてから挑むつもりで。
ところが、VISION3−1だけ、なぜか147個しか集まりません。3個という数から、「透明たまご」を見落としているのだろうと推測できますが、果たして何処に隠されているのでしょう?
記憶に頼らず、自分の目で見つけ出す必要がありそうです。
ちなみにその頼りにならない記憶では、鏡の精の使いかたで150個以上夢のかけらを獲得できるVISIONもあったと覚えているのですが、もしやそこは修正されているのでしょうか? 今のところ150個以上をマークしたVISIONはありません。

好きなVISIONを何度も遊んでいると、VISIONとボス戦を切り離した「クロノア2」は良い進化だったな、と今更思いました。
2−2、5−2、6−2はVISIONだけなら遊びたいのに、ボス戦が付いてくるのが憂鬱なんですよね……。

ゲームアーカイブス「風のクロノア door to phantomile」VISION CLEARしました。
→風のクロノア ソフトウェアカタログ

結局、先日購入した5本の内一番初めに遊んだのは、プレイ経験ありの「風のクロノア」でした。
なお、とても残念なことに、本作はスクリーンショット機能に対応していませんでした。私としては、折角の機能なので、すべてのアーカイブスタイトルで対応して欲しいと思います。

2日間でエンディングまで一気にプレイ。
何十回と遊んだ初代クロノアなので、危なげなくプレイ……と思いきや、VISION3−1辺りからミスって落下死することが出て来たり、住民を2人見過ごしました。特にVISION6−1は落下事故が多発しました。
さすがに、ノーミスという訳にはいかないですね。
クロノアの台詞やファントマイル語、風玉の射程距離や色の風味など、やっぱり初代が好きだ!と再認識しました。

前述の通り、住民は見落としてしまったため、全住民を助けることが条件であるEXTRA VISION「バルーの塔」は出現していませんが、好きなVISIONを選んで遊べる状態になったので、取り敢えず満足です。

五十音順キャラクター・ショートショート【ふ】
→ルールは2012年12月17日記事参照


 不幸な女だ。
 王冠を戴いた若き王はそう思いながら、花嫁の手を取った。
 聖堂の参列者が浴びせる万雷の拍手に呼応して、外を取り囲む民衆たちも歓声をあげた。喜びに和する音はどこまでも続いて、終わりがないほどだ。
 皆が喜び祝う、王の結婚。
 その花嫁ほど不幸な女はいない。
 白い手で剣を握り、帝国を倒し、亡国の遺児を玉座に付けたのは、すべて愛する男のためだった。星の導きでも、民を強いたげる帝国への義憤でも、所縁のない王への忠義でもなく、ただ愛されたいが為に。
 だがその功績と民衆の支持はあまりに高く、彼女は新たな王国に欠かざることのできない存在になった。彼女をこそ王にと推す数多の声も聞こえた。
 最早、自由にしてやることも出来ない。
 王は、花嫁の微笑みが彼や民衆を通り過ぎ、愛する男に向けられているのを見た。
 彼女は男を愛し、彼の望むまますべてを捧げた。男は、愛の代わりに永遠の忠誠を捧げた。
 不幸な女だ。
 さて、その不幸な女を愛する王とは、最も不幸な男でないか?

不幸の結婚
……フィクス・ トリシュトラム・ゼノビア(ゲーム「伝説のオウガバトル」)


プリエステスED。
今回初めてランスロット×女オピニオンリーダーというカップリングを書いて、ハーレクインロマンスが出来る2人であることに気付きました。世の支持が強い理由も分かりました。

映画「レ・ミゼラブル」を観て来ました。
http://www.lesmiserables-movie.jp/

東宝ミュージカル版の感想は、2011年4月23日記事参照
原作は子供時代に読んだ筈ですが、ほぼ記憶がありません。恐らく短縮版でしょう。
更に最近思い出しましたが、悪名高い(笑)1998年のリーアム・ニーソン主演版「レ・ミゼラブル」も観ていました。

お金を掛けて作られているだけあって、見応えも聞き応えもありました。
曲順が入れ替わっていたり、幾つかの要素が原作準拠になっていましたが、ほぼ舞台版に忠実な内容だったと思います。
冒頭、囚人たちが「囚人の歌」を歌いながら船の綱を引く光景で、舞台とは違う映画らしいスケール感を感じさせられました。また、鳥瞰から街を観るアングルなどは、やはり映像ならではの演出ですよね。
でも何故でしょう、制約の多い舞台の方が奥行きと広さを感じると思いました。視界がスクリーンで四角く切り取られているからでしょうか? 切り替わりが激しいカメラワークとか、人物のアップが多いのも、私の好みとは合わなかったです。
元々非常に長い話を納める為に、ちょっと余韻がなかったのが残念かな。

それから、本作を語る時に外せない、台詞を歌で綴る本格ミュージカルであると言う点について。
ミュージカル好きですが、映画だとやはり不自然かな、と思いました。特に、「バルジャンの独白」のような心情を吐露するシーンで、教会の中をウロウロするバルジャンにもなんだか不自然さを感じました。リアルな映像が付くことで、逆に妙な気がするようです。
面白いもので、英語の歌を聞きながら字幕を見ていると、結構違うことを言ってると気付かされました。ミュージカル訳を参考にしていたようですが、日本語で歌う為に敢えて言葉を削ぎ落として意訳してる箇所が多いので、もう少しゼロから訳しても良かったのでは。また「心は愛に溢れて」などの二重の歌が重なるシーンは、字幕が縦横で分けて欲しいと思いました。

この映画では、バルジャンという人物の魅力が分かりました。
逆に、ジャベールは私の解釈よりちょっと感傷的に過ぎるかな。徽章をガブローシュに付けてやるシーンは違和感がありました。
コゼットは何もしないしどころのない役だと思いますが、可憐で可愛いだけで説得力がありました。
学生たちは、一気に出てきて名前も呼ばれないため、個別認識が難しかったです。アンジョルラスすら、革命が始まった後に2回呼ばれるだけなので、原作も舞台も知らない観客には認識されなそう。
アンジョルラスの最期は原作展開に変更されていたのですが、アンジョルラスとグランテールがそれまでに1個人として魅力は疎か個性を見せていないため、感動に至りませんでした。
テナルディエ夫妻は軽妙ですね。嫌いな役ですけれど、作品における役所としては凄く理解できました。