• 2009年07月22日登録記事

フィッツジェラルド著、村上春樹訳「グレート・ギャツビー」

【あらすじ(最後までのネタバレ有り)】
東部へ引っ越したニックは、友人夫妻のトムとデイジーと再会する。だがトムは、ウィルソン夫人マートルと愛人関係にあった。
ある日、ニックは豪邸に住む隣人ギャッツビーのパーティに招かれる。連夜盛大なパーティを開くギャッツビーは、客たちからその素性を悪意を含めて噂されていた。
実はギャッツビーは貧しい出身を隠して成り上がり、出征中に結婚してしまった初恋のデイジーと偶然再会できることを期待してパーティを開いていたのだった。
ニックの紹介でデイジーと再会するギャッツビー。二人は愛を蘇らせるが、やはてそれはトムの知るところとなる。
動揺したデイジーは、ギャッツビーの車を運転している内に、飛び出したマートルを轢き殺してしまう。怒るウィルソンは、車の持ち主を突き止め、ギャッツビーを射殺する。
ニックはギャッツビーの葬儀を行うが、生前彼が饗したパーティに押し掛けていた客たち、仕事相手たち、そしてデイジーも現れる事はなかった。

村上春樹翻訳で読む事が出来ました。
ちなみに、最近は原著通り「グレートギャッツビー」と訳されてますが、邦題「華麗なるギャツビー」の方が、作品には合ってる気がします。
「長編」にしては、あまり長さを感じず、むしろアッサリと読み終わった印象でした。
3章になるまでギャッツビーが登場しないので、最初は散漫な印象を受けました。しかし最後の破局に向かってバラバラのピースを一つに繋ぎ合わせる構成力は素晴らしい組み立てでした。
具体的には、マートルはギャッツビーの車を“トムが運転してる”と思い違ったから道に飛び出したのだと理解した瞬間、なるほど、と膝を打って感心しました。
有名作品ですので筋は知っていましたが、読むと単純なあらすじ通りの筋だけではなくて、人間心理等が行間から読み取れる不思議な味わいの作品だなと思います。
ただ、やはり「面白い」か?と言われると、ちょっと悩んでしまいますね。
外国製純文学は、英文で読んだ時に感じる美文がそのまま日本語になるわけでないので、ある程度展開が面白い等の要素がないと、楽しく読む事は難しいのでないかなぁと思いました。