【序】
舞台は1940年12月21日12時、スコット・フィッツジェラルドが死を迎えるまで後2時間……スコットを演じる役者は、残された僅かな時間にスコットが何を感じていたのか考え、彼の人生を彩った人々を喚び起こす――
初めにスコットの死の直前が演じられてから、この劇が二重構造の芝居であることが明示される、静かなプロローグ。
劇中劇をしたり、最後に芝居だったオチなどは珍しくないけれど、役を演じつつ、同時にその役の役者として語る舞台作品は初めて観るような気がします。
“スコットを演じる役者”と言う役での演技シーンは説明的なので取り払い、死を目前にしたフィッツジェラルドが人生を回想する構造でも同じ筋立てに出来るのに、敢えてこの手法を選んだのは、テーマを明確に伝えたいと言う意図があるからかなと思います。
古いラジオの音や、全体に茶色い情景は、今遊んでるゲームV&Bにどことなく通じる、独自の雰囲気があります。
祐飛の頬がまだふくよかな頃で、それだけでもなんだか見慣れないビジュアルなのですが、オールバック風の髪型が似合わないのかな?
シーラ@五峰亜季は、「カラマーゾフの兄弟」のイワンの幻覚でも思ったことですが、ダンサーの身体をしているためか、本人の持ち味なのか、女性の色気がなく男役と抱き合っても肉欲的な印象を感じません。シーラはスコットの愛人の筈だけれど、世話焼きの母親感が前に出ているので、ゼルダを裏切った感がなくて良いですね。
それにしても、序の後、2幕9場まで出番なしなんて、専科さんの使い方は豪華で良いですね。
【第1幕1場】
ローリング20'sと言われたアメリカの華やかな時代が、スコットの脳裏に蘇る――
底抜けに明るいパーティのシーンでありながら、直ぐ側に破滅が存在している空気が拭えないのが、この舞台通しての特徴ですね。
ゼルダ@紫城るいは、失礼ながら少し老けて見える時があると思ったけれど、時々吃驚するくらい可愛いく、美人に見える不思議な娘役ですね。
このシーンは、重要人物紹介の意味合いが強いでしょうか。この後2場で更に過去へ移るので、なくても問題はない、むしろ場面の流れがスムーズだと思うのですが、敢えてマックスとゼルダがスコットにとってどんな人物か、最初に提示することで、味方としての印象を際立たせてるのかな。
少なくとも、後の場で、アーネストがスコットの紹介を得ず、自分から登場することと対比して考える事は出来そうです。