• 2009年03月24日登録記事

先日の「太王四神記」VISA貸切公演の日、プルキルの子守歌で客席の子供が泣き出した事に閉口しつつも、何だか笑えてしまったことを書き忘れました(正確にはその前のシーン辺りで泣き始めたのですが、この後子守歌だから泣き止むかしらと思ったら、激しくなったと言うオチ)。
ま、悪役ですからね。壮一帆も「わしに怯えて泣いておるわ」くらい思ってそう。

そんな見所一杯、楽しい花組公演が終わり、寂しいので、昨年末に録画していたBSHi放送「黒蜥蜴」を見ました。
作品自体の粗はこの際不問として、組子を眺める目的です。
この作品の終盤、告白を受けて涙を流した桜乃彩音を見て、初めて「おっ」と思いました。
涙と言えば、人伝えの話ですが、新人公演「太王四神記」でキハ@野々すみ花(本役・桜乃彩音)が、カウリ剣の儀式の後、タムドクが息を吹き返した瞬間に、涙を零したらしいですね。抑えきれない心情を表した良い演技だと思います。と冷静に賛美しつつ、そんな小説の常套句みたいな描写をできる舞台人って、凄いなぁと感心。
直接見ている中では野々が代表格と感じてますが、インタビュー等読むとトランスする(或いはトランスしているような発言をする)生徒が随分いるので、意外に感じます。特に男役のような「型」で演技する役者は、意識的に演じている面が強いのだと思っていたので。
かく言う私は、元々黒子だった事もあり、芝居をしても客観的な自分がどこかにいる感じで、あまり役にのめり込んだことがないのです。訓練を重ねるうちに、自分が役と一体化する感覚が分かった時もありましたが、数える程ですね。
でも、一人称小説を書く時は、自分がキャラクターの気持ちになって書きます。これは役者のトランスと似てるかな。違うかな。